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noteを書かなくなった理由と書き始めた理由

私はYouTube動画クリエイターとして生計を立てている。
YouTube歴約3年、30代2人の子持ちの一般男性だ。

私は2年までnoteに記事を投稿してきた。
過去には有料noteを販売し、ウッシッシ状態だったこともある(1万円分くらい売り上げた)
しかし、ある日を境にnoteを書くのをパタリとやめた。

そして2年経った今、再びペンを取ろうとしている。
(「ペンじゃなくてキーボードでしょ」という野暮なツッコミは大歓迎だ)

本記事では、私がnoteを書くのをやめた理由と、最近になってまたnoteを書き始めた理由について書いていく。

最後まで無料で読めるから安心してほしい。

この手の記事を書くときは、読んでもらいたい人を想定しながら書くのが通例だが、今日はそういうのは無しだ。

ただ思いついたので書いていく。
あとづけで理由を考えるのはどうも苦手だ。

noteをやめた理由

そもそもなぜnoteを書いていたのか

私がnoteを書いていたのは、お金になると思ったからだ。

なんとまあ下世話な話だと思うかもしれないが、これは本音だ。noteに収益化機能がなければ手を出していなかっただろう。

2020年頃は、テキストコンテンツを有料で販売するならnoteが主流だった。ただの一般人の書いたものを販売することができる。
当時は画期的なシステムだった。

多くの人がSNSで集客し、記事を販売していたように思う。

私もその一人だ。
大学受験のノウハウについて記事にした。

1万円ちょっとくらい売れた。
(実際売れたのは過去にやってたブログ経由だった)

noteをやめた理由

記事を書くのをなぜやめたか。
もっと優先すべきことができたからだ。

その優先すべきこととは、YouTubeの動画投稿活動と、育児だ。
子どももできて、毎日の時間を何に割くかで考えたときに、noteを書くことの優先度は下がった。

記事を書くより動画を作った方が収入になるといったのが主な理由だ。

お金にならないことに時間を使っても仕方がない。
もっと効率よく立ち回りたい。

そんな考えでnoteは一時中断した。

ただ、noteの使い勝手はとても良いと感じている。
WordPressで構築するブログサイトよりも、装飾に関する選択肢が限定的なため、枠で囲ったり見出しのタグ名に気を配ったりする必要がない。

気軽に書けて最低限の修飾機能ができるUIはnoteの魅力に思う。

noteを再開した理由

では、2023年10月現在、なぜnoteを書き始めたかだ。

端的に言えば、「自己開示」をするためだ。
私自身のことをより深く知ってもらうためである。

私はこの数年の間に、いろいろなツールで発信を試みた。
ブログ、Twitter、YouTube、stand.fm…
そのうち、TwitterとYouTubeは今でも活動を続けている。

特にYouTube活動については、もう3年が経とうとしている。
そこで気づいたのだが、自分の発信をより見てもらうためには、自分のことに興味を持ってもらう必要があるということだ。

有益な情報の発信や、過度な企画での露出は、自分のことを知ってもらうためのきっかけにすぎない。
本質は、自分自身に興味関心を持ってもらうこと。自分の発信に聞く耳を持ってもらうことだ。

YouTubeでは自己開示の実現が難しい理由

実はYouTubeでは、妻の体を借りて発信している。詳しくは下記の記事に書いている。

YouTubeでは、見てくれる視聴者の層も固まっている。主に育児について発信が期待されるため、自分のことを自由に発信することが難しい。

自己開示したとしても、自分の発信を届けたい人に届くわけではない。チャンネルのメイン視聴者の50〜60代マダムたちに発信を届けたいわけではない。

さらにYouTubeというのは制作コストがかなり大きい。
一つのことを発信するにも、撮影や編集、タイトルサムネイルの作成など、届けるためのハードルが極めて高い。

YouTubeで自己開示するのは、私にとってはハードルが高いのだ。

Xでも自己開示の実現が難しい理由

Xの運用では、心を揺さぶる言葉を多用することが重要だ。
「何度でもいいますが…」
「炎上覚悟ですが…」
「月収〇〇万円を達成した方法」
などなど

これらの言葉に気を取られて、SNSを眺めるだけでも疲れを感じる人もいるのではなかろうか。
このようなSNSライティングはありふれたものになってしまった。

人間の心理条件に反応するものなので、どうしても見てしまう。
逆にこのような言葉を使わなければ見られないくらいになっていると感じている。
テクニック寄りの表現が締めてしまうため、自分らしさを表現することが難しい。
さらに投稿にすぐに賞味期限がくる。
文章を書くという好きなプラットフォームだったが、表現の優先度がパターン化されてしまい、自己表現には難しいという印象を受けるようになった。

noteはどうか

noteのメリットは、投稿を伸ばすための形式を気にしなくてよいことだ。
発信ジャンルに縛られずに、文章を投稿できる。

私の文章を好む人は、発信内容がなんであれ、文章を読んでくれる。
興味あるテーマのときだけ、文章を読んでくれるという形でも十分だ。

テーマに縛られず、それでいてストーリーもきちんと伝えられ、自分が表現したいことを表現しやすい。

発信ジャンルを「自分」というジャンルに絞れるという言い方が適切かもしれない。

noteは、頭の中にあるものを順番に吐き出すことができる。
投稿を伸ばすためのアルゴリズムから離れて、自身の考えを素直に吐き出すことができる。

YouTubeの動画編集の画面の前で硬直したり、Xの投稿画面の前で悩み考えたり。そんな縛りが今の私のnoteアカウントにはない。

自分ことをより深く知ってもらえる材料として、半永久的に残すことができる。

今2023年10月、このときの自分の考えを振り返ることもできる。

私にとってはnoteは、思考のテキストログになると考えたのだ。

まとめ

今回はnoteを再開した理由について記事にした。
YouTubeもXも、投稿を伸ばすための投稿が増え、SNSを開くだけで気を取られるものが増えてきた。

SNSをハックするには、伸ばすための投稿を作ることは必要不可欠だと感じる一方で、自分らしさを表現することがより難しいと感じるようになった。

今回は私のやきもきとした気持ちを記事にした次第だ。

noteもXもYouTubeもそれぞれの方向性に従って発信していくつもりだ。
私のことをより知りたいという人は、noteの方もぜひ追ってみてほしい。

ではでは〜。

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