日記 2023.10.22
朝 岸上先生の法話を聞きに行く。すごい法話を聞いた。人間の深さというものを考えさせられる。
夜 読書会。今日も考えさせられた。
今日読んだ、
宮城顗先生の本『”このことひとつ”という歩み 唯信鈔に聞く』の中に忘れたくない文章があったのでメモしておきたい。
宮城先生、それから今日読書会に参加していた先生から教えられたのは、親鸞において不可思議というのは、あたりまえにしていることに不可思議を感じることであると。端的に言えば、念仏において自分の存在の不可思議を知るのであると。先生は、不思議に出会うというのは、私が「思議」(頭で考えてばっかり・思いの中で生きている)であると分かることだと言われた。そして、そのことに気づいたとき、そもそも、存在していること自体が思議を超えた存在、不可思議だとわかることなのだと。自分の存在に不可思議を感じられることが非常に大切なのである。私が私としてあることの無限の不思議を感じていく。それが宗教の場なのであろう。
これは、今日朝の法話で教えてもらった、安田理深先生の言葉にも通じるものである。
終