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2023年 年始にあたり

2023年が始まった。
2022年は世界が一気に変わりすぎたと思う。原子力だって推し進めていくということが国会以前の閉鎖された会議で決められてしまった。日本はどんどん軍拡していく、そんな大事なことがちゃんと話し合われずに決まっていく。これはとんでもないことだと思うし、将来に本当に大きな禍根を残すことになる予感しかしない。そういうことが、何の痛みもなく決められていく。とうの昔に世界は病んでいたが、今の日本の状況は、病んでいる事に気づいているのに、その事にどうしようもなく、見てみぬふりをして、どんどん破滅に向かって言っているように思う。そういう世界の中でちゃんと正気を保っているということが難しくなっていくと思う。その正気の裏にはいつも発狂を抱えているそうした状況がデフォルトになってしまってありつつあるように感じる。社会がこれほどくるっているのに、個人だけがその事から逃れて平気でおかしくならずに生きているということが可能なのだろうか?そういう事を考えざるを得ない。
2023年は正月をむかえることができた。しかし、私は来年の正月を生きて迎えることができるとは限らないと感じている。もちろんそんなことはあって欲しくない。しかし今のロシアとウクライナの状況を見ていたら、この国にだって、私にだって何が起きてもおかしくないと感じる。原発だって、本当にどうなるか分からない。
破滅に向かっている世界で、どのようになるべく健全に生きていくのか。そういう方向性も心のどこかで考えながら生きていかざるを得ないように思う。それでも、大きく考えすぎるのではなく、自分は目の前のことを大事にし、関わる人たちを大事にして、自分の仕事をしていくしかないのだろう。そのように過ごすしか術を知らない。しかし、今まで以上に1日1日を大事に生きていきたいと思う。本当に来年の今生きていられるか分からないからだ。
聞くべきことを聞き。
会うべき人に会い。
先生に質問すべきことはして、そのときの学びや出遇いを大切にしないといけない。
ちゃんと自分の中に蓄えるべきものは蓄えていかないといけない。しかしもう、時間がない。残しておくべきこと、書くべきこと、記録しておくべきことはちゃんと書いておきたいと思う。出し惜しみしている場合ではないなと思う。
恐ろしいほどの集中力を持って書かねばならない。
恐ろしいほどの集中力を持って人の言葉に耳を澄ましていかなければならないのではないか。その人の言葉を聞くのが今日が最後になるかもしれない。
本来そのような命を生きているのだ。その事を忘れていたし、忘れても生きていけた。しかしそうではない状況になっていることが恐ろしい。
そのようにしてはならないし、戦争などあってはならないと声を上げていきたい。その事も今年取り組むべきことだろう。
小さな声だとしても、誰かと連帯し軍拡に反対する声を上げていかなければならない。
小さな命を、声なき声を大事にする社会をつくることに少しでも力を尽くしていかなければならないと思う。
そうでなければ生きている意味がない。自分の領土を拡大したり、快楽をむさぼったり、虚栄心を充足させることはもういい。
そんなことをしている時間はないし、そんなことをしている場合ではない。
そういうことを今感じている。

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