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【道元と宇宙】 15 只管打坐(ひたすら坐れ)という教え


 『正法眼蔵随聞記』を読むと、
「只管打坐(しかんたざ)」という言葉に出会う。

意味は、
「余念を交えず、
ただひたすら坐禅すること」
(新明解四字熟語辞典)

 『正法眼蔵随聞記』でどう説かれているかというと、

 奘(じょう)問うて云く、
「叢林(そうりん)の勤学の行履(あんり)と云ふは如何」
示(じ)に云く、
「只管打坐。あるいは閣上、あるいは楼下に定して
常坐をいとなむ。
人に交はり物語をせず、
聾者(ろうしゃ)の如く瘂者(あしゃ)の如くにして、
常に独坐を好むなり」
(ちくま学芸文庫版、6の11)

現代訳:
懐弉が質問した。
「僧院で修行と学習はどうすればよいですか。」
示していうには、
「ただひらすらの坐禅だ。
僧堂で常に坐禅する。
人と話をせず、
聾唖者のように
何も聞かず、何も話さず、
一人で坐禅をするのがよい。」

「語録・公案等を見て、
古人の行履をも知り、
あるいは迷者のために
説き聞かしめん。
皆是れ自行化他のために無用なり。
只管打坐して大事を明らめ、
心の理を明らめなば、
後には一字を知らずとも、
他に開示せんに、
用ひ尽くすべからず」
(ちくま学芸文庫3の7)

 現代訳
語録や公案などを学ぶ必要などはない。
ただひたすら坐禅をして悟りを開けば、
その後は、たとえ一字を知らなくても、
ヒトに仏法を説くことができる

 お寺で開かれる座禅会でも、
「坐禅をするときは、何も考えない」
と習う。

 僕はそれが道元の代表的な教えだと
ずっと疑うことなく思っていた。
むしろ「道元=只管打坐」だと受け止めていた。

  
そういう道元の教えが、
論理的でなく、知的でもなくて
もの足りなくて、
道元に対する興味を
喪失していたのだが、

 この後、僕の道元像は
ひっくり返ることになる。


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