見出し画像

島泰三「はだかの起原」

 1968年の東大闘争のときに理学部全共闘の1人として最後まで安田講堂に立てこもっていた島は、最高裁で懲役2年の刑が確定すると福島刑務所に服役し、出獄後、房総半島でニホンザルの群れを追いかけていた。

 台風の近づく晩秋のある日、島は雨合羽のなかで凍える体に鞭打って、暴風雨のなか移動するサルを1日中追いかけ、夕方サルが夜営地に着いた頃には疲れ果てていた。ところが子ザルたちはいつもよりもはしゃいでいて風に揺れる枝を楽しんでいるのだ。島はそのとき驚愕し、大いなる覚りを得た。

 自分は疲れ果てて寒さにふるえているのに、子ザルは雨の中で楽しんでいる。違いは毛皮にある。毛皮は通気性もよく、水切れもよい最高の雨具だ。どうしてこんな大切なものを、ヒトは失ってしまったのだろう。ハダカは進化ではない。ヒトの皮膚が薄くて毛も薄いことに、それまでなんの疑問ももっていなかった島は、もちまえの博物学的知識と最新の人類学の知識を学際統合して、『はだかの起原』(木楽舎、2004年)に迫ったのだった。

 島は、たくさんの霊長類を観察した経験にもとづいて、霊長類の手の指と歯並びは主食によって決まるとする「手と口連合仮説」をもっている。それにもとづいてヒトを観察すると、掌と向かい合った(拇指対抗の)太い親指、犬歯がなくて平たく水平方向に臼のように動く歯列から、ヒトはサバンナで猛獣に殺された動物の骨を拾って食べていたと考えた。骨は固いけれどもゆっくり噛めばゲル状になること、栄養価も高いことを島は食べて確かめた。そして大きな骨を両手で抱えて移動するために直立二足歩行になったという。それは200万年前のことだ。

 これに対してハダカになったのは、まったく別の時期のまったく別の理由だ。そして、ハダカになっても生きていけたのは、言語を獲得したからだ。いまから7万5000年前、ハダカと言語の「重複する突然変異」が起きて、言語的人類は生まれた。

 人類がアフリカで生まれたことは、いまや常識である。だけどアフリカのどこで、いつ、どのように生まれたのかということになると、まだ確かなことはわかっていない。どうしてわかっていないのだろう。

初期人類と言語的人類

 そもそも、人類という言葉(概念)が、広すぎるところに問題がある。科学雑誌ですら、「人類の起源」というタイトルで、直立二足歩行する猿人を論ずることもあれば、言葉を獲得した現生人類を論ずることもある。そのために議論が錯綜し、混乱するのだ。人類学者や言語学者も、この問題を放置したまま議論を続けている。

 「人類」というひとつの言葉で、「300万年前に直立二足歩行しはじめた初期人類」と、「7万年前に肺の気道の出口である喉頭が食道の途中にまで降下して、母音の発声が可能になった言語的人類」とを区別せずに表現するから、混乱がおきるのだ。300万年前と7万年前では40倍も古さが違うのだが、たかだか100年しか生きない我々にとってはどっちもとっても古いから、区別しなくてはいけないという気持ちがなかなか生まれない。

 300万年前に直立二足歩行した「初期人類」と、7万年前に母音を使えるようになった「言語的人類」というように、つねに正確な言葉使いを心掛けなければいけない。

 初期人類と言語的人類(現生人類)という概念をはじめて明確に区別したのは、日本の霊長類学者の島泰三だ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?