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大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(5) 人類初の誤り訂正符号の利用

 「興聖禅寺語録終 第一 
  現住門鶴老衲置之者
  上堂語 三十四、頌古四十五首」

 この識語はなんのために書き込まれているのか。
 そもそも識語は何なのか。
 なぜ上堂語は126あるのに、三十四と書かれているのか。
 頌古45は、巻一に収められた漢詩の数と一致するのか。

 道元和尚廣録(永平廣録)は、これまで何度か出版されているが、祖山本の各巻の末尾に「上堂数〇〇、頌古〇〇首」とある識語を掲載している編著者(大谷哲夫、寺田透)と、掲載していない編著者(鏡島元隆、木村清孝)がいる。大谷と寺田は道元に忠実であろうとし、鏡島と木村にはその思いが足りなかったかぬかりがあったといえる。
 一方、江戸時代に出版された卍山本には、識語そのものがない。

 道元は日本達磨宗による改ざんを予知した

 識語がなんのために書き込まれているのか。道元が示寂した後に、日本達磨宗の弟子たちが、自分の著作を改ざん、隠蔽することを恐れたためだ。

 日本達磨宗の弟子たちは、自分の教えを学ばない、真逆のことを言う。今はそれが対立関係にあるが、自分が死んでしまったら、自分の書いたものも改ざんを受けるだろう。あるいは隠蔽されるだろう。どうすればよいか。

 何年もにわたって考え続けた結果、正法眼蔵の75巻には、奥書として「正法眼蔵 現成公案 第一」という序数と、示衆日を書き入れた。廣録は、各巻に収録されている上堂語の数を数え、各所で詠まれている漢詩の数を数えた。

 これは現代デジタル通信技術が、「誤り訂正符号」と呼ぶものである。
 情報の送り手は、送信する符号列に冗長的な演算結果や付加情報を付しておくると、受け手はその符号とテキストの整合性を確かめることによって、送り手が送りたいと思った通りのテキストであることを確認できる。
 ビット列をやり取りしているコンピュータネットワークでも、地上波デジタルテレビ放送でも、およそすべてのデジタル通信は通信路上でおきるBit反転やbit誤りを、受け手が自力で訂正できるよう誤り訂正符号を使っている。
 道元は、必要に迫られて、20世紀のデジタル通信技術を13世紀に考えついて、実用したというわけだ。

巻一の上堂語数はなぜ三十四なのか

 しかし、巻一には126の上堂語が収録されているのに、どうして三十四と書かれているのだろう。
 これは道元が誤り訂正符号の存在を知っている人にだけ伝え、知らない人にはナンセンスな謎にみえるようにカモフラージュしたためではないか。「一二十四」をわざとナンセンスな「三十四」と書き記すことによって、その数字に対する関心を打ち消そうと思ったのだ。
 自分の著作に対して、敬意をもつ弟子であれば、意味不明な「三十四」であっても、愚直に後世に伝えてくれるだろう。いつか誤り訂正符号のことを理解する弟子が現れたら、「三十四」を「一二十四」と読み替えて、自分の真筆を見極めるために使ってくれるだろうと期待していたと思うのだ。

 では「頌古四十五首」が正しいのかどうか、今回、『永平廣録大全』巻一にもとづいて確かめてみた。
 道元の漢詩は、ほとんどが七言絶句で、たまに五言絶句、六言絶句も混じる。実際に数えたところ、巻一には四十五の漢詩が収められていた。

 本を読むにあたって、まずは、それが著者の真意を伝えているか、真筆であるかと確かめる必要がある。今の世の中に、道元をネタにして本を出している輩はたくさんいるが、誠に残念ながら、道元の真筆を確かめて、道元の本当の教えを伝えている人は皆無に近い。



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