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地球規模海洋汚染と向き合う

  1995年3月、ロンドンの事務所の所長が突然会社を辞めて、新しい上司が日本からやってきた。僕は新しい上司となぜか馬が合わず、悩んでいた。FAOでアソシエートエキスパートをした経験をもつロンドンで知り合った友人が、「もう日本に返してくださいと言ったら」と助言してくれたので、会社にそう申し入れた。5年の任期を4年にしてもらい、1998年1月から日商岩井エアロスペース東京本社で勤務することになった。

 翌年夏、東京・青山テピアホールで開催された、日本の人工衛星JERS-1(ふよう1号)のミッション終了を祝うパーティーに出席した。「得丸君、富山に行かない?」と突然声をかけられた。もともと環境研におられて東大生産研に移られた安岡善文氏だった。「富山県がリモートセンシングで海洋汚染の監視をする人を必要としているのだけど、行かないか」と。異動の誘いはいつも唐突にやってくる(僕だけ?)。もともと僕は環境問題に取り組んでみたかったので、二つ返事で引き受けた。

 富山の任期は3年間と限られていたので、事前に衛星データで、海洋汚染をどこまで観測できるかと調べてみたところ、不可能とわかった_| ̄|○。それを富山県の職員に伝えたところ、「もう決めたことですから」と言う。それでいいのかと疑問を抱いたが、それなら(海洋汚染を気にしなくてよいなら)、誰でも無料で受信できる気象衛星NOAAのデータを自分で受信してみようと思った。NOAA衛星に搭載されたセンサーで観測できるのは、海の表面温度くらいだ。海洋汚染とは何か、海洋汚染と人間の関係、足りないものは何か、実際に何ができるのか、そういったことを考えてみようと赴任する前に計画を立てた。

 2000年3月に富山に着任し、年度が変わるとすぐ予算要求し、2002年3月にはアメリカのNOAA衛星(12, 14, 15, 16, 17)と中国の風雲1号(C/D)の観測するデータの受信局が完成し、運用を開始した。そのとき、1992年にミュンヘンで知り合ったNOAAのフェリックス・コガン博士がお祝いにかけつけてくれたのだ。コガン博士は、「NOAA衛星の経験や知識をもっていなかった君がこのセンターを設計したことはすばらしいことだ」と褒めてくれた。こうして2002年度には受信したデータを利用する段階に移行できた。

 

無限を無限で割り算する

 そもそも海洋汚染にはどのような種類があり、それぞれどんなメカニズムで発生し、どうすれば減るのだろうか。水産、海洋、地球物理など、様々な専門家に話を聞き、総合すると、水銀、カドミウムなど重金属、ダイオキシン、PCBなど有機化学物質、プラスチックごみ、放射性物質、それぞれ経路も毒性も異にする物質が海洋中に着実に増加している恐ろしい現実がみえてきた。

 水産海洋学の大御所は、「浜辺のゴミは、波が打ち寄せたらなくなるんだよ」と言っていた。ゴミは大風や大波がくると、姿を消してしまうが、ヒトに見えなくなるだけで、海中にもどっているだけである。

 地球規模の環境問題を理解することは実にむずかしい。浜辺のゴミはすべて人間がつくったものだ。この事実の重さを理解できている人が少ない。陸上で生きるヒトにとって、海は見ることも触ることもむずかしく、ひたすら無限な存在にみえる。一人が海にどれだけゴミを捨てても、それはたいしたことなく、問題にならない。しかし、80億人が捨てるとどうなるだろう。全地球で海にどれくらいの量の水があるか。およそ13億立方kmある。それを世界人口80億人で割ると、一人あたり0.2立法km以下である。ここに環境問題の本質がある。それは無限を無限で割る、想像力豊かな思考を繰り返さないことには理解できない。一人の人間にとって海洋水は無限だが、人口はそれ以上に無限である。地球環境問題とは、人口問題だったのだ。

 
 この考え方は、言語と意味の関係について、新たな知見をくれた。五官で感じることのできない科学的な概念の意味は、くり返し、試行錯誤し、思考を積み重ねて生まれるのだ。思考操作の結果が、脳内でネットワークしなければ、正しい意味は生まれない。

(トップ画像は、2002年2月に富山県環境センターを訪問してくれた友人たち。右からNASAのDr. Gary Geller, NOAAのDr. Felix Kogan, 著者, オペレータの鷹尾氏)

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