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私の母の日は長い

都会と言えるが首都圏とまではいかないこの街は、駅の周りを複数の商業施設が、さらにその周りを住宅街が囲うようにできている。

駅を出て、買いたいものを買って帰宅するまでの導線がスムーズな作りで、良くできた街だ。

一方私が生まれ育った街はどのルートを使っても駅、店、家が一直線になることはなく、私は人一倍この街に対して憧れている。

5月12日の日曜日、私がその駅に降り立つと、30人ほどが小さな店をぐるりと囲んで行列を作っていた。

何だあれは、特売セールの最終日か、著名人のサイン会か、握手会か、ハイタッチ会か、事件か、新作のフラペチーノか。

並んでいる人たちの手元を見ると皆、花を手にしている。

人に囲まれていて見えていなかったが、ここは花屋だ。

列に並んでいる人たちからは見えないけれど私の角度からは見えている所で、エプロンをつけた店員さんが駅構内から2〜3人走って来て、スタッフオンリーの扉の中に入っていく。

想定外に人が押しかけて、急遽休憩返上といった様子だ。

花を買ってラッピングしてもらう作業は、無料だとは思えないほど丁寧で、時間がかかるサービスだ。
(自宅用、と伝えるとたまに雑に包装されることもあるが)

一人ひとりのラッピングに時間がかかる上、今のところ30人もの行列。

しかも母の日ともなれば「適当な包装でOKです」の人は少ない。

この30人分の接客をしている間に、また新たな客だって増える。

しかし駅前とは言え、なぜこんなに一店舗に人が集中しているのだろう。

私は文明の利器を取り出して、地図アプリから「花屋」と検索をした。

駅の北口に1店舗、南口に1店舗。

街の人口の割には相当少ない。

駅前に2店舗構えているからか、周辺の商業施設の中に花屋は1店舗もない。

さらに、この街は南口の方が賑わっている。ここは南口の花屋だ。

皆、義理堅いものだ。

誰が決めたか分からないルールに従って、ちゃんと母の日に花を買っている。

母親はきっと花をくれることを期待しているから、それに応えて喜んでもらおうと真面目で実直な子や孫などがそこに集っている。

偉い、素晴らしい。


私は母の日に母のために花を買うことはしない。

私の母は、花が好きではない。

大食漢の母は、食べられない物にはとことん興味がない。

食べられる花は存在するが、あれは美味しくないから食べ物ではない、と言っていた。
(食べたんだ…)

茶色くてこってりした花があれば、喜んで食べるのだろう。

そして、そんな母から見て義理の娘にあたる人が唯一、毎年母に立派な花をプレゼントしている。

それを知っている私が花を贈る場合、

①義理の娘より小ぶりのものを渡す
  →シンプルに要らない

②義理の娘より豪華な花を渡す
  →大人げないし、邪魔に思う

いずれにしても母が満足することはないのだ。

義理の娘は、可愛い孫を産んでくれた尊い御方なので、御方が贈ってくれる花、という付加価値があるからこそ喜んで受け取る のであって。

だからこそ花屋の周りを囲み、あと何分待つのか分からないのに辛抱強く並んでいる方々は良い意味で普通の家庭なんだろうと目に留まるのだ。


私は指をくわえながら行列を通り過ぎ、商業施設の一階に向かい、食べ物のギフトを買って母の日ラッピングをしてもらった。

去年はどうしていたか記憶にないが、ペラペラの袋一枚が有料の時代に、可愛いシールまで貼ってくれる母の日用ラッピングが無料になるのは日本の良心、素晴らしい所だと思う。

何でもかんでもタダにしろとは言わない。

「記念日なのでサービスします」は「記念日を大切にしよう」という心を育てると思う。


私は母にちょっと良い食べ物系ギフトを渡し、さらに今度の週末に再訪し、義理の娘から贈られてきて一週間になる花の手入れをする。

母は花に興味がない。

間引きの知識すらないのだ。

私の母の日はまだまだ続く。

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