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杉山和一先生の偉業を世界に発信

世界無形文化遺産というものがある。
名前は聞いたことがあったが認定されるものは文化芸能との印象だった。
それがつい最近、医療からの認定があったのだ。

タイマッサージ。
なるほど、その手があったか。
それならば、日本の按摩も認定されるのではないか? と考えた。
だが待てよ、そもそも按摩は日本が発祥なのか?
経絡に沿って施術する手技療法、これも中国発祥だと厳しい。
現実、中国も中医の鍼灸で世界無形文化遺産に認定されている。

先ずはwikiで調べると

がーん、横帝内経に書かれているらしい。
もろ中国文化でした。
これは中国に申請してもらう必要があるか、韓国のように先に申請しちゃうかになるが、色々考えものだ。

ならば、日本のオリジナル技法は日本のあはきに無いのだろうか。

和一「私がおるぞ」

両国の方から天の声が聞こえた気がした。
そうだ、杉山和一先生の偉業があるのだ!
そして杉山和一先生の神社もある。

杉山和一は江戸時代に生まれた。
1610年、武士の家に生まれたが幼い頃、伝染病で失明してしまう。
当時の資格障害の方々は、祈祷師、琵琶法師、鍼灸師、あん摩師、
などの職業に就くことが多く、杉山和一も鍼灸あんま師に弟子入りする。
だが、不器用で物覚えが悪かった和一は師から破門されてしまい、
失意の中、江ノ島にある弁天様をお参りして今後を考えている矢先、
転んだ拍子に竹の筒に入った松葉に触れて、
管鍼法という今の日本鍼灸師のスタンダードな鍼術を編み出す。
それ以降、入江流を体得して江戸の街で開業し、大いに賑わい、
噂を聞きつけた時の将軍徳川綱吉に召し出され結果を出して、
両国の一ツ目に土地を拝領してその地に杉山流鍼治導引稽古所を作る。
これは世界初の障害者のための学校と言われる。

これが一般的な鍼灸師とマッサージ師が学んでいる歴史ですが、
ポイントは杉山流鍼治導引稽古所がいつ出来たかの史料が重要となります。
世界無形文化遺産として考えるなら、世界初の障害者教育という言葉は
重みを持ってきます。

逆に世界初の障害者教育として一般的に広まってるものは何か調べてみました。

まずは世界初の1750年代に聾唖学校を作り手話を創設した人物ド・レペ

次は1784年に世界初の盲学校を作ったヴァランタン・アユイ

現状では世界最古の障害者教育はド・レペであり視覚障害者教育の先駆けはアユイという感じですね。

では、杉山和一先生はどうだったか、資料とともに見ていきましょう

まずポイントは杉山和一が杉山流鍼治導引稽古所を設立した年です。

1682(天和2) 和一、将軍綱吉から鍼術振興を命じられる?(『皇国名医伝』のみ確認)家塾を杉山流鍼治導引稽古所として改める?

1682年! ド・レぺより70年近く早く視覚障害者への教育機関を設立しています。
それも幕府いわゆる時の政府からの認定も含めて
しかし、クエスチョンマークがついているのが気になります、何故でしょう?

それはどうも確かな史料が無いとのこと。
これは結構、問題ですね。
ただ、杉山流鍼治導引稽古所自体は存在し、杉山和一が生きていた年代にはあったのは事実のようです。

和一の弟子達は、幕府医員へ9名・諸大名へ6名(鍼医4名、按摩医2名)と登用されました。和一の弟子が史料に初めて登場するのは1680年(延宝8年)に美尾一と春一の二人の座頭が鳥取藩へ按摩医として仕えた記事です。1680年以前から師弟教育がなされ、和一没後も鍼治稽古所は存続し、その後も弟子達によって引き継がれていきました。 とすると、鍼治稽古所の創設よりも早い時期に弟子が養成され、登用されていることが理解できると思います。こんな事情から稽古所とは私塾を改めたのが天和年間とされているのかと思います。この振興令や鍼治稽古所創設について少し考えてみます。綱吉は1680(延宝8)8月23日に将軍となりました。この2年後に振興令が出されたというのです。ただ、調べた限りの法令集には確認できず、この振興令とは法令ではなく口頭の言い渡しか、または実際にはなかったのかもしれないと筆者は考えています。それとも、綱吉と和一のつながりはもうこの時期にあり、綱吉が将軍となってから2年間に信頼を受けるような歴史のロマンが存在したのでしょうか。

この辺は今後の研究によって解明されていくでしょう。

ただ少なくとも実践的な視覚障害への制度化された教育は存在し、その子弟たちは時の政権の為政者に対して、治療を行っていた。
そして、杉山和一の知識や技術は、現在の視覚障害者にも晴眼者にも引き継がれています。

言うなれば、杉山和一が広めたことにより管鍼法は日本鍼灸のスタンダートとなり世界にも広まりました。

実際に現代でも、世界の視覚障害者に向けてケニアにあん摩を教えに行った日本のあはき師もいます。

芸能の文化でも杉山和一の講談もあり江戸の庶民の間でも親しまれていました。

他にも杉山神社では江戸時代から琵琶の演奏が大変好評であり、文化の発信地としても機能していたようです。


以上の事からも杉山和一先生の偉業は世界無形文化遺産へと登録されても他の伝統に比べて遜色はありません。
ノーマライゼーションやSDG sを世界が標榜するなら、
世界初の障害者教育それも職業訓練を江戸時代に到達していた杉山和一から始まる江戸の文化を墨田区、東京から発信すべきと再確認いたしました。


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