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三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №2(序文 第2分冊)


凡 例

🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名づかいは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜てきぎ改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧かっこ等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国こうこく天皇践祚せんその日を延元二年二月五日と改めました。
🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験ついたいけんする為に一人で何役(尊良たかなが天皇、興国こうこく天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦われき皇暦こうれきの後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。

  串呂哲学研究会 鈴木すずき超世志ちょうせいし


序文(第2分冊)

5、大震災による臨死体験で意識変革

(1)臨死体験後に三浦系譜を見る

当時私は、東京に遊学中でありましたが、さかのぼって大正十二年〔1923年〕九月一日の関東大震災には、彼の被服廠跡ひふくしょうあとに避難して、三万有余人の人々が焼死しょうしした中で生き残った一人であります。かる貴重な体験をした十ヶ月後に初めて「三浦皇統家」極秘伝の系譜及記録を拝見するに至ったのであります。

〔編集者注〕
大正12年(1923年)9月6日、死体処理係りの人達が、山のようになっていた死体の外側から順次焼却して行った時に、一人だけ芳聖の体にうじがわいていなかったので、不思議に思って焼くのを後回しにしてくれたお蔭で、芳聖は奇跡的に蘇生して九死に一生を得た。5日間の仮死状態から奇跡的に蘇生した芳聖は、始めのうち、殆ど目が見えず、全身の皮膚の皮が一枚むけた。目の玉の皮までむけたが、どこも悪い所はなく、翌年の壮丁検査では甲種合格になった。(「三浦芳聖伝 2、尊良親王の再現」より)

(2)軍隊に入営中に遠祖長慶天皇登列

私は徴兵検査ちょうへいけんさの結果甲種合格こうしゅごうかくとなって、一年志願をするつもりでありましたが、之は師匠富永慶法老師のお許しがありませんでしたので、「三浦皇統家極秘伝」の系譜及記録は又聖父の御遺言通り、全然別の箇所に埋蔵致しまして、大正十四年〔1925年〕一月十日、豊橋歩兵第十八連隊第一中隊に普通の兵隊として入営致しました。

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