おもしろきこともなき世をおもしろく

 幕末の勤皇の志士 高杉晋作の言葉です。
「おもしろきことなき世をおもしろく」
「おもしろくない世の中をおもしろく生きるためにはどのように考えたらよいのか?」
それに対して、勤皇家として知られる野村望東尼が下の句を続け、句が完成したといわれています。
「すみなすものは心なりけり」
どのような世の中であっても、自分の心の持ち方で変わるのだと。

おもしろきこともなき世をおもしろく(上の句)
すみなすものは心なりけり(下の句)

今の時代にも響く言葉です。
 
高杉晋作は約400余の漢詩を残しています。「もし、幕末ではなく、平和な時代に生まれていれば、有名な詩人になっていたであろう」と司馬遼太郎が評しています。


高杉晋作の詩吟を2題紹介します。

高杉晋作(1839-1867)
号は東行、名は春風、字は暢夫。長州藩士で勤皇の志士。松下村塾に学び、又、江戸に出て大橋訥庵の塾に通い、昌平黌に入学した。上海渡航後は公武合体論の放棄を献上して脱藩。尊攘派の幹部となり民兵組織の騎兵隊を編成して総監となった。後、長州再征起こるや自ら全軍を指揮して幕兵を破った。之より幕府は衰運に傾いた。東行も肺を病み慶応3年4月10日没。

詩吟神風流「新編古今名吟集」




馬上偶成

険(けん)に臨(のぞ)み 危(き)に臨(のぞ)む 豈(あに)衆(しゅう)を 恃(たの)まんや
単身(たんしん) 孤馬(こば) 乱丸(らんがん)の 中(なか)
沙辺(さへん) 甲(かぶと)を枕(まくら)とす 腥風(せいふう)の夕(ゆうべ)
幽夢(ゆうむ) 悠悠(ゆうゆう)として 海東(かいとう)に到(いた)る
 
時は幕末。1863年、尊王攘夷運動の急先鋒だった長州藩は、関門海峡で外国船を砲撃しましたが、連合艦隊の反撃により、欧米の近代兵器の前で長州藩はわずか四日で降伏しました。藩から防衛力の強化を命じられた高杉晋作は、「平和な世の中に慣れてしまった武士だけでは力にならない」「世の中をよくするためには、すべての人が身分に関係なく、立ち上がらなければならない」と師である吉田松陰の「草莽崛起」の思想のもと、奇兵隊を組織しました。欧米列強の波が押し寄せる中、日本の未来を憂いた高杉晋作は、長州の藩論を討幕に導き、攘夷から討幕への道筋を作っていきます。幕府の長州再征軍との戦いでは全軍を指揮し、幕府軍を次々と破りました。「馬上偶成」はこの時の作と言われています。
詩吟を通して、高杉晋作の言動や生き様に触れ、活力を得ることができます。「馬上偶成」は力強さが漲り、詩吟でより表現できます。



囚中作

君(きみ)見(み)ずや 死(し)して忠鬼(ちゅうき)と為(な)る 菅(かん)相公(しょうこう)
霊魂(れいこん) 尚(なお)在(あ)り 天拝(てんぱい)の 峯(みね)
又(また)見(み)ずや 石(いし)を懐(いだ)いて 流(なが)れに投(とう)ず 楚(そ)の屈平(くっぺい)
今(いま)に至(いた)るまで 人(ひと)は悲(かな)しむ 汨羅(べきら)の江(こう)
古(いにしえ)より讒間(ざんかん) 忠節(ちゅうせつ)を害(がい)し
忠臣 君を思うて 躬(み)を懐(おも)わず
我(われ)も亦(また) 貶謫(へんたく) 幽囚(ゆうしゅう)の士(し)
二公(にこう)を 憶(おも)い起こして 涙(なみだ) 胸(むね)を沾(うるお)す
恨(うら)むを休(や)めよ 空(むな)しく讒間(ざんかん)のために 死(し)するを
自(おのずか)ら 後世議論(こうせいぎろん)の 公(こう)なるを 有(あ)らん
 
※菅相公 菅原道真 死んでもなお忠誠を貫いたという
※天拝の峯 天子の方を向いている山 道真の魂は此の山にあるという
※楚の屈平 楚の屈原は懐王の信任厚かったが、讒にあい疎んじられ汨羅江に身を投じた
※讒間 告げ口によりおとしめること 国を思う忠義の者がおとしめられることがよくあったが、彼らは主君や国のことだけを思い、自らのことを思わないのである
※貶謫 讒にあい流されること 私もまた罪人として囚われた
※二公 菅原道真と屈原
※後世議論の公なる有らん 後世公平な世論が定まったならば我が心を諒解する者があるであろう







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