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自分を褒める

さっきnoteのプロフィールバナーを変えた。
「ADHDに感謝する」と書いた。
感謝していることの日記を今後毎日書こうと思ったのもある。
本当に自分はこの障害が分かって、この障害にはとても感謝しているのもある。

人生の意識が大きく変わった。
誰よりもマイペースで、誰よりも自由で、活動的で、興味に真っ直ぐで、明るい自分は、この障害があったおかげだ。
僕が経営者への道に進むことになったのも、ADHDのおかげだ。
大変なこともあるけど、それ以上に楽しいことに溢れているのもADHDのおかげだ。
ADHDは障害だと言われるが、自分の一部であり、根本的に変えることも出来ない。
ADHDを否定すること、嫌うことは自分を嫌うことと同義であり、そんな自分でいたくはない、僕のことは僕が一番好きでいたい。

他人を愛しなさいって言われるけどそれは大事だと思う。
でも「自分を愛しなさい」って言うと何故か悪いことと言われる。

そんなことない。
それって「男と女どっちがこの世で大事ですか?」っていう質問と同じだと思う。
決められるわけない。
どちらも大事に決まってる。
「他人を愛しなさい」って事ばかり優遇されている世の中だと僕は思う。
どちらか一方を消し去ると言う事でもない。
他人も大事だし、でも同じくらいに自分も大事だと思って良い。



家族であっても、恋人であっても、他人ならなおさらで、意外と他人は自分を褒めてくれない。褒めちぎってくれる人何て稀だ。
僕を褒めて、認めて、生きてるだけで良いって認めてくれる人って本当に少ない。
それに他人に褒めて貰いたいと思った時に、都合よく褒めてくれる人もいない。

自分を褒めて認めて許してくれる人がいないのに、いつも自分が自分をけなして、否定して、許せなかったら、自分の居場所がなくなっちゃう。

ADHDの特徴なのかもしれないが、経済的にも時間的にも僕はいつも自由でいたいと思っている。
でも人から好かれたい、認められたい、許されたいと思い、それを他人に依存するのは「人間的」不自由だと思う。
誰に嫌われても、好かれなくっても、僕は自分のことを認めて褒めて許して生きて行きたい。
いつでも、どこでも、自分のことを褒めちぎってくれる人なんて世の中にいない。
それが出来るのって自分しかいないんだ。

だから、僕はADHDに感謝している。
ADHDに感謝することは僕が僕に感謝することだから。
今までよくやって来た、偉い。
ADHDなのによくここまでやってこれた、これからももっともっと伸びる。
そう言ってあげたい。

同じようにADHDで悩んでいる人をnoteで知って、本当にみんながんばってると思う。
人よりも上手く生きられないのに、一生懸命生きてる。
人一倍時間管理しようと努力したり、自分の状態を管理したり、一生懸命勉強したりして凄いと思う、偉いと思う。
ADHDで人よりも重たい荷物を持ちながら走ってるんだ。

僕はそれでも、ADADの人は普通の人よりも秀でた能力を持ってると思ってる。
だから重たい荷物を抱えてても僕はみんなを優秀だと思ってる。

だから僕はADHDを否定しない。
どうやったらこのADHDを消さずに生きられるかを毎日考えている。
これからも誰が何て言ったって、お客さんに怒られたって、好きになってくれなくたって、自分の事は自分で褒め続けていくと決めた。
ADHDの人は自罰的で傷つきやすいからこそ人一倍自分は自分を褒めてあげたい。

皆がみんな自分を認めるだけで精一杯な世の中、noteでスキをつけてくれる皆さんにも感謝しています。
noteを書いて上にあがろうと思う自分に感謝しています。

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