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転轍機

この前の日曜日に、建築倉庫ミュージアムで「田中裕也×大宮エリー スペシャルトークセッション」に参加してきた。

同ギャラリーでは6月末まで「ガウディをはかる – GAUDI QUEST –」を開催中。
アントニオ・ガウディの建築には設計図面がほとんど残されていない。
田中さんは1978年にバルセロナに渡って以来、自分の手でガウディの残した建築群を実測し、精密な図面を起こし続けてきた。
今回の展示は、その仕事を公開するもので、連日多くの人々でにぎわっている。

先月末にあったクローズドのイベントの際に、建築倉庫副館長の近藤さんにご紹介いただいて田中さんとご挨拶だけ交わさせていただいた。

展示はもちろん、どれもこれも貴重で興味深い。
だが、私がそれらにも増して一番感銘を受けたのは、今回の展示で配布されている「はかることは生きること」と題された、1500字ほどの田中さんの「談話」だった。

「はかる」という言葉は、あえて平仮名になっている。
「はかる」は測るだけでなく、計るであり、図る、諮る、量る、謀る、とさまざまに読み替えることができる。

僕は、実際に「はかり続けて」生きてきました。ガウディ作品をはかり続けたのはもちろんのこと、日常生活の中でも、電車に乗る時間、食事を選ぶとき、どこへ誰と出かけようか、日々はかり続けて生きています。時間を掛けて、経験し知識を得ることを、僕は「はかること」と定義しています。

このあとに綴られているのは、約45年前に初めてサグラダ・ファミリア教会の「誕生の門」に衝撃を受けた若者が、ガウディを「はかり」始めるまでの経緯である。

大学卒業後、建築事務所に勤めていた田中さんは、ガウディへの思い断ちがたく、仕事をやめてスペインに渡る。
渡航前に〝怠惰で苦しいことは避けて生きてきた自分を乗り越えたい〟と思い、自転車で日本一周の旅に挑んで成功させた。

そして、シベリア鉄道でスペインに渡るのだが、バルセロナに着いた日に、全財産の100万円を盗まれてしまう。むこう3年間の生活費として貯めて用意していたお金だった。

最初は、追いかけようとしましたが、途中で諦め、「盗られた100万円はこの場所で必ず取り返す」決心をします。今考えれば、この出来事は僕の人生を大きく変えた「洗礼」だったと思います。この時、漠然としたガウディの研究をしてみようという気持ちが、「ガウディの研究を実現させる」という決断に変わりました。

見知らぬ土地で全財産を失い、スペイン語も英語も話せない。

2、3ヶ月の間、グエル公園の階段で地中海を見ながら途方に暮れます。そしてある時、「この階段をはかることからなら、僕だって始められる」と思いつき、実測と作図を始めます。

グエル公園はガウディの作品で、今回の建築倉庫での展示には、このグエル公園の階段の1/1模型(実際に座れる)も設置されている。

ここから40年以上、田中さんはガウディを「はかり」続けてきた。
その中で、これまで誰も気づかなかったガウディの発想や配慮の痕跡を、いくつも発見してきた。
ガウディが世界の建築史に永遠に残るように、田中さんの仕事もまた世界の建築史に永遠に留められる。

もしも、あの日、全財産を盗まれることがなかったなら、若者の人生の先はどうなっていたのだろうか。
そして、私たちの人生には、それがいつ起きるかはまちまちだとしても、やはりそのような時のめぐってくることがある。

それまで誠意を尽くしてやってきたことが、苦労して積み上げてきたつもりだったことが、描いていた夢が、理不尽にあっけなく奪い去られて、寒空に放り出される。

私の場合は奥手だったので、50歳になった春が一番苦しかった。
毎朝、目が覚めることに絶望していた。
けれども、もっともその人を苦しめた日々が、その人に幸いをもたらし得るというのは、おそらく人間だけが発見することの可能な、命の深い真実であろう。

では、その絶望の暗い闇の中にあって、何が運命のレールを切り替える転轍機になるのか。
それは息も絶え絶えの中で絞り出した「意志の力」でしかあり得まい。

幾ばくかの歳月が経った時に、あの闇の底で決めた意志こそが、すべてであったと気づくことができるのである。



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