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ヒュースケン日記

日本で新天皇が即位したばかりだが、タイでもきょうから新国王ラーマ10世の戴冠式がはじまる。

幕末に日米修好通商条約を締結させたタウンゼント・ハリス。
ハリスの通訳官をつとめたのが、ヘンリー・ヒュースケン(1832-1861)という青年だった。

ヒュースケンは1855年10月にニューヨークを出港し、喜望峰を回ってセイロン島を経由し、マレー半島のペナンでハリスと合流する。

ヒュースケンが残した日記には、日本訪問に先立ってハリスと共にシャム国の首都バンコクを訪れ、ラーマ4世に謁見した際の様子などが自筆のイラストとともに記されている。

大使はまず王に親書を捧呈し、次いで所定の合図にしたがって口上を申し述べた。それが終わるとわれわれは立ち上がり、もう一度頭を下げ、また腰を下ろした。
陛下は、二、三御下問を賜ってから、英語とシャム語で書かれた親書を声高に読みあげ、それから合図を発した。
するとたちまち部屋の両すみの天井から垂れ下がっている二帳のカーテンが、見えない手でゆるゆると、途中で三回停止しながら引き寄せられ、最後は陛下の玉体を包み込んで隠した。(『ヒュースケン日本日記』)


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