独死について

拡大自殺のニュースが鳴り響き、「一人で死ね」という言葉がこだました。

「一人で死ね」という言葉はあまり社会的弱者から出てくる言葉ではないように思う。
加害者を擁護するわけではないが、僕は「サイコパスでない限り、事件を起こすまでには何かしら社会的な要因が含まれている」と思っている。
だから「事件は何故起きたか」という議論にも意味はあると思っている。

だが現実は「事件を起こすような奴がどうかしてるし絶対悪、以上。」で終わらせる人が多い。
加害者がどうかしてるとして、どうかしてしまった原因は何もなかったのだろうか。
そして、その原因は100%加害者にあったのだろうか。

インターネット上は「自分が遺族だったら許せない」という意見で溢れていた。
僕がもし遺族だったら「あなたはそもそも遺族じゃなくてよかったね」と思ってしまいそうだ。

一つ疑問に思うのは「遺族だったら」という仮定で話す人だけが異様に多いことだ。
多数の人は「遺族だったら」という想像はできるのに、「加害者だったら」や「被害者だったら」という想像はできないように見える。

「自分が事件なんて起こすわけない」「自分が事件に巻き込まれるわけがない」と考えているとしたら、それは浅はかではないだろうか。

仕事はなく、友人もなく、家族からも疎まれ、金もない。精神を病み、死を考える。
そういった想像をできない人が多いのか、それとも考えたくないだけなのか。

加害者についてのニュースが流れる。「引きこもり」「ゲーム依存症」などの情報がどんどんと出てくる。

そんなニュースを見たとき、「自分は引きこもりではないから大丈夫」「ゲーム依存症ではないから大丈夫」と終わらせるのか。
「何故引きこもりが事件を起こしたのか、引きこもりだから事件を起こすのか、引きこもりじゃなくてもその人は事件を起こしたのか、」と思考を展開させていくのか。

それだけでも、かなり違うように思う。

最終的に加害者が死んでしまったことで「最悪の結末」と呟いている人がたくさんいた。

でも、そもそも事件は起きてしまった時点で最悪なのだから。


THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生

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