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愛は何でできている?愛の理論を知ってガテンがいった話

愛とは?

突然ですが、愛って何なんですかね?

な〜んて、夜もふけると、人間ってのは変な思考にハマったりします。

たっぷり昼寝してしまったため、その夜はなかなか寝付けず、SNSでモルドバのYanaと雑談。あれやこれやと話題をホッピングしているうち、いつしかトピックは「愛」の形に至りました。

モルドバのYana

この話が出たのは、互いの家族関係をシェアしていたことがきっかけでした。

Yanaの家族は、父母と歳の離れた妹。父親が何から何まで指示をし、Yanaがうまくいかない時は全て彼女の至らなさが原因で、決して父親が自分の否を認めることはない。。。

母親は娘に過度な期待を寄せ、思い通りにコントロールしようと躍起になりすぎてYanaを精神的に追い込んだことも。。。

育て、教えてくれたことに感謝はしつつも、それを愛情として受け取った覚えはないそうで、心のどこかで恨めしく思っている。。。

などなど聞いていると、ボク自身の家庭環境や親の考え方の棚卸しなんかしちゃって、考えてみると、よくまぁあの親のもとでここまでそれなりに育ったもんだと我ながら感心したりして(嘲笑 いや冗談ですよ。

詰まるところ、完璧な親子関係・兄弟関係なんてのはなく、犯罪または犯罪まがいの「被害」とまでは行かないにしても、みな何かしら不条理や無い物ねだりからくるフラストレーションを抱えつつ、愛情やら感謝やら同情やら理解やらでバランスをとっているんだなぁ。

しかし、中にはバランスなんか取れず、どうからどう見ても害悪しか感じられない「毒親」もいて、己の自尊心と人生の平穏を保つためには縁を切るのが唯一にして最良の手というケースも少なからずあったり。※ボクはこれを親不孝と責める気は全くありません。

あるラインまでは健全で深そうに見える愛も、どこか行き過ぎたり何かが足りなかったりすると、恨みや憎しみに近いネガティブなものになってしまう。偏執的な愛とか、身を滅ぼすほどの破滅的で盲目的な愛とか。愛のレシピというものは非常に繊細なのだなと思わざるを得ません。

という感じで「愛って何なんだろうね〜」という流れになったところで、ロシアのサンクトペテルブルク大学で心理学を学んだYanaが面白い説を教えてくれました。


愛の三角理論

1986年に、対人関係に関する理論としてアメリカのロバート・スタンバーグという心理学者が提唱したのが「愛の三角理論」です。

ロバート・スタンバーグ博士

この理論によると、愛を構成する因子は「親密さ」「愛情」「献身」の3つがあり、愛はこれらの強弱・組み合わせにより8種類に分類されるそうです。下図を見ると、三角形の3つの頂点、3つの辺、そして真ん中にある「完成された愛(3つの複合)」。あれ?7つじゃんと一瞬思いますが、3つともな無い(弱い)というのも含めて8種類です。

"The triangular theory of love" by Robert J. Sternberg

それぞれの要素については詳しい定義や含意があるわけですが、概ねこの図でニュアンスは理解できるかと思います。

これ、個人的にはよくできたモデルだなぁと感じました。

例えば、既婚者はおわかりの通り、いわゆる付き合っている時のラブラブな恋愛状態と、結婚して家族になって長い時間が経った状態って同じではありません。恋から愛、愛から情へと変わるものだと昔から言われますが、恋がロマンティックな愛なのに対し、そこに献身も加わってそれぞれの強度が増していく、あるいはより献身や親密さの強度が増して愛情が少し減衰するみたいなバランスの変化で説明がつくといった理解(というか解釈?)が可能だなと。

また、「推し活」とか「追っかけ」と呼ばれる類の愛は、「一方通行の愛」。愛し合っていると思って自分の予定を犠牲にして尽くしていたら体だけが目的で結局捨てられるのも「一方通行の愛」ホストに貢ぐのは「虚無の愛」。互いをよく理解し、苦楽を共にして困ったときには助け合うのが「友愛」

翻って、家族の愛は「完璧な愛」というイメージ、あるいは「完璧な愛」で結ばれているべきという暗黙的な強迫観念があるような気がします。

確かに、親は子供にとってもっとも親しみを感じられる相手であり、愛情を持って接するべきであり、そして成長を手助けすべく献身する存在であるべき、というのが理想でしょう。

しかし、現実には、ネグレクトや虐待、親自身の未熟さや育った環境による愛情不足といったことが起きています。そうしたアンバランスや不完全な愛への対処法まではこの理論の範疇ではないと思われますが、何が不足していてそれらが起こるのかの要因考察には有効ではないかと考えます。


愛の「成分」をチェックする

大事だな〜と思うのは、どこかの貸金業者じゃないですけど「そこに愛はあるんか?」ということと、「その愛はどの愛なん?」という認識を持てるかどうかなのかなと。家族であっても、一生懸命愛しているはずなのに何かがおかしいと感じる時、その愛が何によって構成されているのかを客観視できたら、あるいは第三者が冷静に分析し評価できたら、おかしさを是正する切り口が見つかるかもしれません。

スタンバーグ博士自身がどのような動機でこの理論を提唱したのか知る由もありませんが、愛をこじらせて不幸のどん底に転落、果ては相手を殺めるまでに歪んだ感情を増幅させる…そんなケースを少しでも未然防止するためにも、こうした理論を参考に因数分解して考えてみることは一般人にも役に立つんだろうなと思った夜でした。

「その愛はどの愛なん?」


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