師とわたし①

師と私が出会ったのはおそらく五年ほど前。
同じマンションに住んでいて、私はそこのボランティアグループ入っている。そのグループに師の奥様がいた。
奥様はとても気さくな方で、とある習い事にお誘いくださり、それを一緒にやっている。

一度マンションのロビーで若い女性と初老の男性が歩いていて、私といた奥様が
「あ、うちの旦那と娘よ」
と紹介してくれた。お嫁にいったお嬢様を送っていくところだったらしい。
その時の師はヨレたTシャツにお猿総柄のズボンを履いていてずっとニコニコしていた。

ある日奥様が
「◯◯さん、うちの人がお茶を教えたがってるんだけどやってみない?」
え、茶道なんて人生で全く触れたこともない世界。
お嬢様育ちの人がやってそう、そんなことを私なんかができるのか。
でも私の脳内は興味の方が勝っていて、その場でやります、そう答えた。

師は大学で茶道部にいた。おそらく当時の男子大学生の茶道部とは落研やジャズ研などと同じようにポピュラーなものだったのかと。
そこである流派の茶会などの手伝いをするようになる。
そして卒業、師は親戚の口利きである会社に内定が決まっていた。しかし流派の人々に、どうしても我が組織に入って欲しいと頼まれ、嫌々ながらそこに入ることになる。

そこからは東京の家元で住み込みで修行。
茶道とは社会的地位の高い人々に愛される。
錚々たる面々に可愛がられながら茶道を極め、東京家元の長となり、昨年定年退職した。
その後は幾つかの道場を管理しつつ、子供たちや弟子に茶の文化を教授している。

そのひとつの道場に通うことになった私。
割稽古から始まり平点前、師の教え方は不思議だった。
「えーっと、あれ、どうだったかな、そうこれこれ」
みたいな感じでピリッとした雰囲気ではない。
二人、八十代の女性の先生がいるのだが、彼女たちは気さくだけど厳しい。
茶道とはこうあるもの、私のイメージしたそれだった。

私は骨董市で着物や帯を見るのが趣味なのだが、お茶をやっているんです、というと店主の顔が変わる。
「お茶は厳しいから、どうかしらこの帯だとまずいかも…」
などと商売に対して弱腰になる。
季節柄はひとつ先を召す、目立ってはいけない等どうやら煩いらしい。
しかし師は
「楽しければなんだっていいじゃない」
と言って気にしない。奥様も
「謎の花が一番」
お棚点前ってどういう時にするんですか?
「要はアタシこんな凄い棚持ってんのよってこと」
そんなマインドで、ジャズ批評界に現れた寺島靖国さんのようだった。

極めている人が言うからこそ説得力があり、それは私の肩の荷を下ろさせてくれた。
師の愛弟子に三十代の女性がいる。
私同様、過去に芸者をやっており現在はジャパニーズゲイシャアーティストとしてハリウッドやドバイのショウに呼ばれてパフォーマンスをしている。
師はそれも含め彼女を可愛がっている。
柔軟な人である。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?