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ピアノを拭く人 [長編小説] (完結)

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彩子が出会った素敵なピアノを奏でる男性は、些細なことが気になって居ても立ってもいられなくなる病に悩まされていた。
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#OCD

ピアノを拭く人 第1章 (1)

 雨は小降りになっているが、風は強まっている。ようやく顔を出した三日月の上を、風に流され…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (2)

 腕時計を見ると、9時をまわっている。  新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、時短営業…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (3)

 いつもより早めに出勤した彩子は、段ボール箱を抱えて駐車場に向かう。 幾重にも重なる山並…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (4)

 ぐんぐん昇っていく月を追うように、彩子の車は川沿いの県道を走る。  サイドシートには、…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (5)

 店内に残っていた客は、会計を済ませて月明りの下に出ていった。  マスターの羽生は、レジ…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (6)

「無理ですよ。歌っていたのは10年以上前です。大学を卒業してからは、カラオケに行ったときと…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (7)

「水沢さん、お待たせしました。そうそう、これ伊香保の水沢うどんね」  うどんを運んできた羽生が、茶目っ気たっぷりの笑みを見せる。 「ありがとうございます……、いただきます」彩子は苦笑いしながら、箸を手に取る。  マスクを外すと、出汁の香りがたゆたい、食欲を刺激する。汁を一口すすり、思わず笑顔になる。羽生は鰹節と昆布、切り烏賊、干し海老で出汁を取ると言っていた。合わせ出汁が、こしのある麺によく絡む。  一心不乱にうどんをすする彩子に、羽生は満足そうに頬を緩め、厨房に入っていった

ピアノを拭く人 第1章 (8)

 抜けるような青空が、週末を迎えた人々を祝福しているようだった。  彩子は車の両窓を下げ…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (9)

 フェルセンの花壇の端に屹立する銀杏が、色づき始めていた。彩子は、もう少し色づいたら、ペ…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (10)

 朝の澄んだ空気が、残っていた眠気を一掃してくれる。駅から試験会場となるC大学までの道を…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (11)

 手を伸ばせば金色の月に届きそうな夜だった。  閉店時間を過ぎたフェルセンの出窓から明か…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (12)

 手紙を書くために、トオルが明るくしていた照明が、彼の目元の疲労を悲しいほどに際立たせて…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (13)

   彩子は、バッグを肩にかけ、登録会の資料を入れた段ボール箱を車からおろした。今にも掴…

may_citrus
3年前
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ピアノを拭く人 第1章 (14)

 昼過ぎから降り始めた雨は一旦弱まったが、夕方には勢いを増していた。彩子は車のワイパーを最速にした。風に煽られて車を直撃する雨音は、ラジオから流れるピアノ協奏曲の緩徐楽章を聴こえにくくする。助手席には、透のために購入した便箋と封筒を入れた袋が乗っている。彩子は過去にフェルセンに行ったどの日よりも、気がはやっている自分に気づいた。  フェルセンの扉を開けると、いつもは耳に飛び込んでくるピアノが聴こえてこない。カウンターの後ろにいる羽生の目元に、疲労がにじんでいるのが遠目にもわ