わからないオバケは本当に怖いのか?
小学校の入学をひかえている我が家の息子は、TVゲーム実況者のYoutube動画が大好きだ。
最近は「ガーデンオブバンバン」というホラーゲームの実況が流行っているらしい。
内容をシンプルに説明すると、見た目だけはゆるキャラみたいに可愛らしいくせに、この世の終わりを告げんばかりに怖い顔をして襲ってくるモンスターをかいくぐりながら迷宮探索をするゲームだ。
息子と動画を観ながら「愛嬌のあるモンスターだなぁ」と油断していた刹那。
本格的なホラー映画顔負けの演出に私の表情は凍りついた。
巨大な「ふなっしー」みたいなあどけない顔をしたモンスターが窓の外から無言で顔をのぞかせていて……プレイヤーを見つけ捕まえた瞬間、体を「ゴガリッ」と握りつぶしたのだ。
少年マガジンで一躍有名になったマンガ「進撃の巨人」に匹敵する恐怖シーンである。
とはいえ、ホラーゲームも怖いマンガも観ている時は「怖いもの」だが、現実に危険があるわけではない。
つくりものだからだ。
かたや現実世界では、ニュースで凶悪犯罪やテロ、災害がそのうちやってくるかもしれないと錯覚してしまうほど、多く熱く語られている。
終身雇用制度が崩壊、VUCA時代など、見えない未来を指差して「得体の知れないオバケ」を見つけたかのように騒ぐ人たちもいるのだ。
過去の私も「恐怖ばかりだ」と、人生にくっついてくる「わからないオバケ」を怖がっていた時期があった。
しかし、それは、本当だろうか?
「心配の9割は起こらない」という言葉がある通り、人生は恐怖ばかりとは限らないのではないだろうか。
日常にくっついてくる「わからないオバケ」に「それって本当なの?」とライトを当てると、実は大袈裟に騒いでいただけだと氣づく瞬間がある。
リアルに背中からナイフで刺されるわけではないと氣づくと、「わからないオバケ」はしっぽを巻いて煙のように消えていくのだ。
生きていくなかで顔を出す「わからないオバケ」。
彼らが本当に怖いかどうかを追求していくことは、人類の永遠のテーマだと私は思う。
得体の知れないオバケの正体を知ると、オバケはオバケでなくなるのだから。
(ビブリオエッセイ*ここまで)┈┈┈┈┈┈┈┈┈
【あとがき】
このエッセイは、文章の書き方サロン「ふみサロ」の提出課題として執筆したものです。
課題書籍「ケーキの切れない非行少年たち」から、しののめともは「わからないものへの恐怖」の着想を得ました。
本の内容で一番印象的だったのが「ケーキの切れない非行少年は、実は超軽度の発達障害や知的障害、またいじめの被害者だったりして、どうしたらいいかわからなかったこと」そして「結果的に社会に適応できずに人を傷つけるしかなかったできなかったこと」です。
「わからない」と人は恐怖を覚えるものだけど、よくよく正体を観察したり、調べていくと「その正体がわかる」ものだよな……と。
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