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最後に仏壇へ手を合わせる日

私の曾祖母の25回忌の年忌のお参りがあった。

もともとから親族で集まってご飯を食べたり長期休みを祖父母の家で集まっていとこでお泊まりしたりと仲の良い親族なので今日も和気あいあいという感じで過ごした。

ただ今日はいつもとは違って、お仏壇をしまうこと、お外で見守ってくれたお地蔵さんの移動をさせてもらうための御参りでもあり
ちょっと気分はしんみりとした気持ちでもあった。

今回、お別れする仏壇は亡くなった祖父が苦労して19歳で購入した立派なお仏壇。

私の祖父は幼い頃、実の母を見送っている。
そしてさらには父も見送り
父の次の奥さんと長く親子として生きてきた。

その次の奥さんが今回25回忌の私にとって曾祖母にあたる人。

伊勢湾台風の時、『案外なんともなかったなぁ』と話していて襖をあけたら仏壇が茶漬けになっていたという話を昔祖父は笑って話していた。
笑うしかなかったんだろうな…と今なら思う。


その後、親戚からみっともないから早く買い直せと言われ相当苦労したであろう若い祖父が手に入れた立派な仏壇だった。

37歳の今の私でもあんな立派な仏壇を買うことはできない。
苦労は計り知れない。

血のつながらない母と苦労しながら生きてきたがいつも真面目に元気で、仕事しながら田畑を耕し、人を悪くいうことなく生きた人だった。

曾祖母は百人一首が好きだった。
長く寝たきりだったけれどいつも楽しそうに百人一首を声に出して読んでいた。
壁に飾られた子猫と子犬のジグソーパズルを見ながら猫をみーちゃんと呼んで楽しそうだった。(犬の方は忘れた)

曾孫の写真が部屋中飾られた部屋で長らく寝ていた曾祖母。
体が弱かったらしいが運が良かった曾祖母は戦時中も特段食べることも困らず、90歳まで生きた。

血のつながらない90歳まで生きた母を見送った後も祖父は私の祖母と2人真面目に一生懸命生きていた。

そんな人が大切にしてきたお仏壇とのお別れはしんみりしつつみんなで記念の写真を撮った。

集合写真が好きな家系なのでやたらと写真をとる。
仏壇前で何枚も今まで撮ってきた。
それ以外でも集合写真は山ほどある。

なんなら漫画に仏壇描くのに昔散々写真とって参考資料に使わせてもらった思い出深い仏壇。
漫画の評価は低かったが仏壇が立派と仏壇を褒められたのを覚えている。

今日が最後かと文章を書きながら今さらに気持ちがしんみりしてきた。

ただ行き先がまだ見つかってないのでいい人のところに迎えてもらいたいなぁという気持ちでいっぱいである。
今、お寺の方が行き先を探してくださってるらしい。

おじいちゃんが大事にしていた金ピカのお仏壇良いとこに受け入れてもらえます様に。
七夕の今日、特に私がお願いしたいことはないので私の願いはそうしておくことにします


そしてこの文章を書きながら最後のお参りだったはずなのに帰りに手を合わせて帰るのを忘れたことに気付いた。

こんな孫でごめん、おじいちゃん。
運び出される前にもう一度手あわせにいきます


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