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沖が浜田の黒糖作り

おはようございます🤗
今朝は仕事が休みなので、4時半に起床して東海岸と天女ヶ倉まで日の出を見に行ってきました🌅

本当は、伊関校区にある「沖が浜田黒糖小屋」の見学に行こうと思って出かけました。
しかし到着してから、今日は休みだということに気付き日の出と共に海岸線をドライブし、その後天女ヶ倉に行って日の出を見てきました😅

天女ヶ倉からの日の出

先日初めて黒糖作り見学に行かせていただいたのですが、ものづくりを見るのが大好きな私は、一度でどハマりしました😊

種子島での製糖業のばじまりは、文政十年(1827)9月2日に薩摩藩に製糖を許可されはじまりました。
しかし当時は、砂糖は高級品とされお偉い方のために製糖されており、そのため、砂糖を作っても大したお金にはならず、製糖業はそれほど盛んではなかったといいます。

それに追い討ちをかけたのが、大正中期に「チンチバック」という害虫が大量発生し、製糖業が一気に落ち込み、それと同時期に世界的糖価の下落が落いうちをかけて、製糖業はさらに衰退の道をたどった時期もあったようです。

しかし、太平洋戦争後、日本は台湾と南洋諸島を失い、沖縄も奄美大島もアメリカ政権下におかれたため、日本国内の甘味資源は底をつきました。
そのため製糖業が一目をおかれ、昭和24年頃には種子島の黒糖ー斤(600g)が400円に暴騰したことを機に、種子島では3つの黒糖工場が設立され、日本一の製糖市場となったとされています。

私が今回見学に行かせていただいた「沖が浜田黒糖小屋」はすべて手作業で黒糖を作っています。
そこには幾つもの時代を超え、幾多の職人の手を渡り、引き継がれた伝統文化がありました。

種子島に移住してから正直ここまで「もっと知りたい!!」と思ったのは初めてのことかもしれません。

けれど、私はなんのツテも関係もない立場の人間です。
だからこそ、何度も足を運んでまず黒糖作りに関わる人たちの中に入って行って黒糖作りの伝統文化を少しでも伝えられたらと思っています。

沖が浜田の黒糖作り風景

今日は残念ながら黒糖作りの現場に立ち会うことができませんでしたが、またお休みの日に見学に行かせていただきたいと思っています。
いつかちゃんとした記事にして公開できたらと思っているので、楽しみにしていてください🤗

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました🤗
皆さんにとって、今日もすばらしい1日でありますように✨
それでは、いってらっしゃい!!!

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