見出し画像

伝統行事を継承させるシンプルな仕組みが勉強になった件

僕が生まれ育った愛知県半田市は祭がとても盛んなところで、5年に一度『はんだ山車まつり』という市内に31台ある山車が一堂に会するイベントも行われるなど、地域一体となって祭を盛り上げている街です。

なにせ市の観光マスコットキャラが『だし丸くん』というくらいです。気合いが違うダシ。


この『はんだ山車まつり』は秋に行われていますが、本来の祭礼は各地域毎に春に行われていて、この時期は各地で山車の曳き回しやからくり人形など、華やかな祭の様子を見ることができます。

ただ祭礼はそもそも神様へ奉納するためのもので、一般の人が見ている華やかな舞台の裏では様々な行事が執り行われていて、その中心となるのはいわゆる厄年(大厄)の人たちです。

すでに上京して長い僕ですが、厄年を迎えたタイミングで祭礼の時期に地元に戻って微力ながら役目を果たしてきました。その中で、市内10地域31台もある山車と祭礼の文化が、どのようにして受け継がれ守られてきたのか、そのノウハウを知ってちょっと感心したので紹介したいと思います。


人生で1度しか関わらない行事

僕は子どもの頃から囃子や山車の曳き回しなどの祭礼行事に参加していたので、祭に関する大抵のことは知っているつもりでしたが、それでも実際に厄年を迎えてメインで祭礼に携わってみると、知らないことがてんこ盛りでした。

それもそのはず、厄年(大厄)は人生に1度しかないのです。なので携われるのも1回きり。知りようがありません。

誰もが1度しか経験できない行事を、途絶えさせること無く、正しく継承させていくというのは、ふと冷静になって考えると非常に難しいことです。が、僕の地元ではその継承はごくごく当たり前のこととして何十年、地域によっては何百年も続いています。その秘訣はどこにあるのでしょうか。


よくできた厄年の行事継承システム

厄年は1回きり、その行事を執り行うのも当然1回きりと思いがちですが、実際は3年間行事に関わる仕組みになっています。

前厄・本厄・後厄という言葉を聞いたことがあると思いますが、この厄年の行事は本厄をメインに前後1年の先輩後輩である前厄と後厄がサポートする形で運営します。

その役割として

前厄:本厄のサポートをしながら行事全体の流れを知る
本厄:行事を執り行う
後厄:行事が滞りなく行われるよう、相談役・お目付役となる

という分担がされています。

後厄ともなれば行事に携わるのも3回目で、この頃には全体の流れを落ち着いて眺めながら、滞りなく本厄が行事を進行するためのサポートができるようになっています。面白いと思ったのは、行事を執り行うのは最年長者ではないということです。

京大のアメフト部や帝京大のラグビー部は雑用を最上級生の4年生が担うという話を聞いたことがありますが、最も経験のある人材をサポート役にして中堅が思い切りチャレンジできる環境を作るというのは、育成という面で見てもなかなかよくできた仕組みのように感じました。


祭礼はその地域の住民が行うものなので、会社やスポーツチームのように才能ある人を連れてきて仕事をまかせるという類のものではありません。本厄を迎えた世代にたまたま優秀な人が揃っていようが、そうでなかろうが、そこにいる人たちで1度きりの大切な行事の役割をきちんと果たして受け継いでいかなくてはいけません。そのために作り上げられたマネジメントのノウハウが、伝統的な祭礼の運営にはありました。


温故知新も悪くない

IT業界にいると目新しいマネジメント手法の情報はたくさん入ってきます。テクノロジーの進化が可能にしたものや、他業種のノウハウを応用したものなど多種多様な情報が飛び交っており、つい新しいものが良いものだと考えてしまいがちです。

しかし、今回知った厄年行事の運営方法には長年培われたシンプルでしっかりしたノウハウが凝縮されていて、自分の仕事にも応用できるヒントがちりばめられているように感じました。たまにはこういった伝統的なものに目を向けるのも勉強になるなと思った次第です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?