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そろそろじぶんの軸を変えようと思っている

夫がロシア人なのでいきおい、ロシア関連に興味を持って、Twitterでもおそロシア系の笑えるアカウント、Only in Russia をフォローしているのですが
ロシアならではの工夫もよくアップされてておもしろい。
https://twitter.com/CrazyinRussia/status/1184126359083331584/photo/1

てこてこ歩いて出勤しつつ、それらのおもしろ投稿を思い出しているとふいに、フランスのことを思い出しました。
「効率化とかより、食事、芸術などを含む文化が大事な国だよなあ」

地方によって特色が違うでしょうし、なによりわたしは
観光で通りすがったり、前職の出張で数日間滞在しただけなので
フランスのことよう知らんし、えらそうに語れないのですが
滞在した数日だけでも、日本とのちがいは感じました。

前職では出張で数回フランスに行ったのですが
ある時、とある分野のヨーロッパ大学会に参加しました(わたしは下っ端の事務員)。
参加者数千人規模、おおきなコンベンションセンターが会場でした。

会場はまともだったんですが、中2階とかあって、何階が非常にわかりにくく、またちいさな部屋の配置やらが芸術的で到達困難。

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実際、自分のトークに間に合わない先生もおられました。
しかも、階段の天井とかが歪んだ鏡仕立て?で不気味。

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京都でいうたら勧業会館がこんな感じってわけだよね。
日本のこういう会館ならばもっと機能的なはずだけれど、こちらは実務一辺倒ではない感じ。
そして、エレベータの「閉じる」「開ける」のマークが日本と反対だったので
「やっぱり、国によって違うんだね」
と言ってたら、別のエレベータでは日本と同じだったので
「設置まちがいですか、、、、」
それを放置してるあたりもすごい。

日本だったら、こういう学会のお昼は便利でもあるのでお弁当だったりブッフェだったりしますよね。
あるいはお昼勝手に食べてきてくださいとか。
まあフランスでももっと小さい会ではブッフェでしたが、
日本のより内容が見栄えもよく、充実していたり。
そしてこのときの会では、大きな昼食スペースがとられ、
入り口には係員がいて丸テーブルにどんどん案内してくれ
丸テーブルには既に前菜が用意されている。
空いているお皿の様子からして、次はメインディッシュ、次はデザートと給仕が判断して持ってきてくれます。

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「さ、さすがめんどくさいだろうにそこはちゃんとわけて運ばれてくるんだ~!!!」
と感動したものです。

手間をはぶいて機能的に、これは重要だけれど
あまりにもそればかりを求めると、「文化」がなくなる気がする。
もちろん、運営側の事情もいろいろあろうし、とくに日本ではそんな予算もないということだろうけれど、あえてそこにそれだけの予算を割いて人員を配備するのがやっぱりフランスなのかなあ、と思ったり。

「大事にする」視点が違うなあと思ったことを思い出しました。

前職では、「冷たく、有能に」働くのがイケてる感じで
それに必死で追いつこうとしていたわけだけれど
一方で、そこに所属するまではもうすこし豊かだったつもりのわたしの感性がどんどん死んでいってる気もしていた。
事情があり、そこを離れることになって、いまの職場にいるわけだけれども
こちらのほうが性にあっているようで、就業時間外でも制限を感じていた前職とちがい、じわじわと気持ちが自由になってきて、感性が息を吹き返している気がする。

長いこと、手間をかけること、丁寧に見直すこと、向かい合うことをないがしろにしてぱっと受けてぱっと返せる、それが有能と思い込んでやってきたけれど、そろそろ、身の丈にあった(いまはやりの言葉ですね)、いろんなことを自分なりに大事にする、自分自身が「よし」と思える過ごし方にしようと思い、手始めに朝、すこしだけはやく起きてゆったり朝ごはんと読書の時間を設けている今日この頃です。

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