マルゲリータのズボン
マルゲリータは毎朝8時15分に会社の下のバールでエスプレッソを飲むことにしていた。エスプレッソ ドッピオ ボッレンテ(ダブルのエスプレッソを熱々で)。
それが、彼女が言わなくてもバリスタのマリアによって準備されるようになるまでには3ヶ月もかからなかった。
マルゲが家を出るのは毎朝きっかり8時。そこから歩いて10分のところに今勤めている会社がある。
着るのはいつもストライプのカミーチャ。40代になったときに体型に合わせたものを色違いで5枚まとめて作った。どれもストライプで、毎日それを着ている。下は黒いパンツ。これも3本同じものを持っている。靴は夏はバレリーナで冬はショートブーツ。ピアスはいつも同じエメラルド。
マリアはいつも同じ格好のマルゲを間違えなくていいと笑った。
ある日、マルゲはいつもの黒いパンツを履こうと思ったが、ふと手が止まった。クローゼットの隣にかけてあったデニムに目が止まったのだ。
「そういえば、もう何年もデニムを履いてないな」と思いながらマルゲはデニムを取り出した。
「もう入らないかもしれない」と一瞬思ったが「体重は変わっていない。」と確かめるように、デニムを広げた。
デニムにはアイロンがかかっていた。母には何にでもアイロンを掛ける癖があった。家に来るたびに頼んでいないのに、洗濯と掃除をしアイロンを掛けて帰る母だった。
マルゲもアイロンはかけるが、さすがにデニムにはアイロンをかけない。しかし、母はシーツだけでなくタオルにも靴下にもアイロンを掛けていた。アイロンの掛かったデニムは老人のそれのようだった。
息を止めてウエストのボタンを閉めようとした。が、ウエストは思った以上にきつかった。体重は変わっていなかったが、体型は変わっていた。
それでもなんとかボタンを閉じることはできた。「デニムのボタンってこんなに固かった?」という驚きは、どれだけ自分がデニムを履いていかなったんだろうという思いへとつながった。
最後にデニムを履いたのは母が生きていた頃だった。このデニムを履けなかったのは、「デニムにかかったアイロン」に、母を感じたからだった。それが消えたら、母の痕跡が無くなりそうと思って履けなかったのだ。
そのこと自体を忘れていた自分に驚いた。
今日はデニムで行こう、そして新しい服を買いに行こう。と、マルゲは思いながら家を出た。バールについたのは8時18分だった。
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