かあさんは買った服を1年寝かせる
子供の頃、不思議に思っていたことがある。それは、「なぜ、かあさんは買った服をすぐに着ないで、タンスに1年寝かせるのだろう?」。
働いていた頃の母は、ごくごくたまに素敵な服をデパートで買っていた。数年に一度だったと思う。
デパートで買うといっても、有名高級ブランド店の階には行けない母だった。
買うのはいつも中途半端な階にある若者向けではない婦人服売り場の、その端っこの方のお店。今では何歳でもどんな服でもユニクロで買えちゃうけど、ほんの十数年前までは、40−50代の母親世代がちょっとした服を買う場所はデパートしかなかったのだ。
「大事な時に着るのよ」の言い訳と、照れながらデパートの袋を持って帰る母。リボンのついた固い紙袋と薄紙に包まれた、色鮮やかな服たち。それらは、私たちにちょっとだけお披露目された後、母のタンスの下から2段目の引き出しにそっと畳んで仕舞われた。
それから大体1年後、母は私たちが忘れた頃にその素敵な服を身につけ、「大事な会」に出かけて行くのだった。何かの会合とか、謝恩会とか。送別会とか。
そのお出かけのあとに素敵な服はどうなるかというと。きれいにしてまたタンスに戻る。その年に2回くらい大事なお出かけの時に着て、数年経つとちょっと良いお出かけ着から、だだのお出かけ着に格下げされていた。
仕事では紺のスカートかズボンに制服のベスト。家ではチノパンにトレーナーを制服のようにいつも着ていた母だった。そんな彼女がデパートで買ってくる山吹色や薄紅のスベスベした色鮮やかな美しいブラウス。それを見ては、姉と「母さんは大事にしすぎて、1年寝かせないとこの服が着れないんだよね」なんて、からかっていた。
母はずっと働きつづけ、そのうちに私も社会に出る年齢になった。私が社会人になった頃のファッションは、母が家事と仕事で1番忙しかった頃よりずっとカジュアルになっていた。
「特別の日ではなく、普段の生活にちょっといいものを着よう」という提案が街に溢れていた頃。良い綿や麻のシャツを着て、ちょっとだけ良い(=高すぎない)革のカバンを使い込もう。女優の飾らない私服や、おしゃれな料理研究家みたいな白っぽい服たちが広告にあふれていた。
働いて得たお金を全て自分に遣えていた私は、母に向かって偉そうに「ちょっとした会合のために、年に一度も着ない服に高いお金を出すなんてムダだよ。それよりも普段着をちょっと良いものに変えれば?」なんて、どっかで聞いたような意見をするようになっていた。
その後の母は、紺色の仕事着を処分し、汚れてもいいズボンと姉の着なくなった大きなシャツで朝から畑の草取りをする生活に変わった。そうして「ちょっとしたお出かけ」はなくなり、同時に、寝かせるお洒落着も買わなくなった。今の母のタンスには無印とユニクロがキレイに並んでいる。
無印で買った太めのボーダーのTシャツとユニクロのパンツは家庭菜園に励む母によく似合ってるけど、キレイなブラウスを着たちょっと背すじの伸びた母をみることはなくなった。そんなふうに時が経つことは少し寂しい。
最近、あの頃の母がタンスに寝かしていた、色鮮やかなブラウスたちを思い出すことがある。
今は私が仕事と家事と子育てで、美しいブラウスを買ってはタンスにしまっていた頃の母のような息もつけない日々を過ごしている。
そんな今を過ごした今になって、どうして母がタンスに寝かせるような、すぐに着れないお出かけ服を買っていたのかが、ちょっと分かる気がするのだ。(分かったとはいえ今の私は在宅仕事だし、あの頃の母の服より安い服をネットで買うだけだけど。)
あの頃の母は、いつも自分以外のことに忙しかった。そんな彼女にとって、デパートで服を買う時間は、ほんの束の間に許された、自分のために使う大事な時間だったのかもしれないなと思うのだ。
買い物という、時間とお金を使う行為を自分のためにすること。普段の、誰かのための慌ただしい時間を少し離れて、自分のことだけを慈しむ時間。そして、その時間の結晶のような色鮮やかなブラウスたちだったのかなと思うのだ。普段着ることはなくても、タンスを開けるたびに見るきれいなそれらに、それを買った時間を感じていたのかなとも。それが買える自分への誇りもあったのかもしれない。もちろん私の記憶の話だから美化しすぎだよとも思うけどね。
今さら、母にそのことを聞いたって、「そうだったっけ?母さん、覚えてないわー」って言うだろうけど。母のタンスで1年寝かされた服は、すぐに着ることはなくても大切な買い物だったんだなって、今なら想像できる。
あの頃、何も分かってなかったね。
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おまけ
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