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アンナマリーアのスカーフ

アンナマリーアの務める銀行の同僚たちは、どうやってアーリーリタイヤするか、そればかり話していた。

銀行員の給料はこの街の中では決して悪い方ではない、アンナマリーアも同僚のシルバーナもマッテオもRolexをつけているし、アウトレットは大好きだけどビーチでアフリカ人から偽物のグッチを買うことはない。自分の境遇には満足していている。それなのにいつも何かが足りないと思っているのはなぜだろう?と、よくアンナマリーアは考えた。

お金を扱う仕事につくと、「世の中にはいくらでもお金を持っている人がいる」ということを知ってしまう。

アンナマリーアの顧客にも不動産収入だけで生活しているひとたちが何人もいた。そして、彼らはいつもあつらえたカミーチャを着て、すぐわかるブランドのカバンをもっているくせに、例外なくみんなケチだった。

夏の家も冬の家もある生涯で一度も働く必要のなかった顧客の一人が、「働いて収入がない」からと、学校に払うお金はいつも最低額にしていると聞いた。そのときは「そんな手があるのか」と感心したが、それが一人だけじゃない、よくある手口だと知ると鼻白んだ。

「あんなにお金があるのに、なんであんなにケチなの?」お金があるからケチなのか、ケチだからお金があるのか。とはいえ、彼らの数世代つづくお金持ちなので、お金のあるケチな家に育ったからケチが身についているのなのだろうと、考えがまとまった。

アンナマリーアもそんな顧客等に影響されてかいつのまにかケチになっていた。

結婚する気も、子どもを持つ気もなかった。自分のことだけで精一杯なのに、これ以上はいらなかった、あとは老後に困らないだけあればいい。しかしその老後っていくらいるんだろう?

両親が離婚した上に早く死別していことは若いうちは彼女を寂しさで苦しめたが、介護の問題を友達が話し始めるようになる頃には、いなくてラッキーだと思えるようにもなった。

仕事がリモートになってからは、マッチングアプリにも手を出して適度に相手を見つけて楽しんでいた。しかし、深い関係は求めていなかった。あと2-30年くらい生きてそのうち死ぬんだなと、日曜の夜にワインを飲みながら思っていた。

それなのに、アンナマリーアはある日、田舎に一軒家を買ってしまった。貯めていた貯金をほぼ注ぎ込んでの購入だった。自分よりずっと古い家。自分が死んでもこの家は残るだろう。

周りのみんなは彼女のケチ振りを知っていたので驚いた。一番驚いたのは彼女自身だった。ワインを買いに行った途中でこの家を見かけたときに、どうしても欲しくなったのだ。何かが強烈に欲しくなる、そんな気持ちが自分にあったことに驚いた。

多分、後悔する。と思いながらも庭に何を植えようかと考えるのが楽しくて仕方ない。


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