次は日本のバラエティを輸出しよう

日本が世界に誇れるものの一つに、バラエティ番組がある。

トーク、大喜利、リアクション、漫才、コント、どれを取っても日本の笑いは世界一だと思う。海外の笑いにも好きなものはあるが、日本とは笑いの種類の豊富さが異なる。

ここまで日本のバラエティが成長し、かつ視聴者の笑いの感性を育ててきたのは、松本人志という男によるものだと思う。松本人志が源流となって笑いを発信し続け、それを受け取った視聴者が笑いの感性を高め、作り手はさらに技術を高めていく。過去に一時代を築いた男が、オワコンとなることなく、バラエティの一線を走り続ける。

彼がバラエティを成長させすぎたせいで、日本は独自の進化を遂げた。ガラパゴス化した日本のバラエティは、海外からの評価を受けにくく、純度の高い笑いが生まれても、それを受け取れる視聴者が日本にしかいないことが悲しい。

言語の壁だろうか。日本語特有の言い回しや表現が、世界への進出を阻むのだろうか。それは違うかもしれない。漫画やアニメは言語の壁を超え、すでに日本の文化として受け入れられた。

では、何が問題か。

日本のバラエティが世界に受け入れられないのは、松本人志が作ってきた笑いの文脈を知らないからだろう。

例えば、漫才を海外で披露すると、ツッコミ=怒りととられて、「どうしてあの人は怒っているの」と笑いより先に心配してしまう、という国があるらしい。現代の私たちは、当たり前のようにツッコミを笑いの技術として受け取るが、日本でだって最初の漫才ブームを同じように感じた人は多いだろう。

私たちは、幼い頃からバラエティ番組に触れ、バラエティ独自のルールを肌で感じとり、笑いの文脈を自然に読み解いてきた。ツッコミが怒りの行動化ではなく、笑いを生むための表現だと知っている。「押すな」が「押せよ」ということを知っているし、いじりが愛のある行為だと知っている。

これらの行動を、初見の人がすんなり受け入れるかと考えると難しいものもあるだろう。嫌だ嫌だと叫びながら、自ら熱湯風呂に入りたがる酔狂な初老近い男性を見て笑えるのは、やはり彼が築いてきたお笑いを知っているからだ。

日本のバラエティを世界に広めるためには、お笑いの文脈をうまく翻訳して届ける必要があるだろう。どう翻訳するか。それは、私たちがリアルタイムで体感してきたバラエティの一連を、同じように体験してもらうことが一番だ。そのためには、芸人のネタが必要になる。

個人の性質や背景、あるいは集団との関係性が前情報として必要なバラエティ番組と比較して、ネタというものには翻訳の必要な部分が少ない。漫才でもコントでも、最初は自分たちを知らないお客さんを笑わせる必要があり、個人の特色を短く分かりやすく届けることに長けている。売れた芸人は必ずそのハードルをクリアしているわけで、それは海外で売れるネタを作る、というハードルの高さとそんなに変わらないはずだ。

ピコ太郎やCOWCOWなどの文字情報の少ないネタだけでなく、過去にアンジャッシュのネタがアジアで丸パクリされたように、面白いネタは必ず海外に刺さる。

ネタが刺されば、その芸人の背景を知りたくなり、紐解こうとする人間が増える。過去の映像をディグり、その中で日本のバラエティ番組の歴史に触れていく。それを通じて笑いの文脈を知るのだ。

笑いの文脈を感じ取った後は、まだ見たことのない笑いを望むようになる。


今の日本で、笑いの感性が極まった先にあったものが「水曜日のダウンタウン」という悪魔的な魅力のあるバラエティ番組だった。これまでの笑いの文脈を追っていないと笑うことのできない、テレビの果てのような番組だ。SNS上では毎回、批判と称賛の声が噴出し、話題を独占していく。視聴者の見たい笑いがもうここまできたのだ。良いことなのか、悪いことなのか、さっぱり分からない。

もしこの番組が10年前にあったとしても、今ほど人気を持たず、長続きしなかっただろう。その頃に人気だったテレビは、「トリビアの泉」「爆笑レッドカーペット」「めちゃイケ」「SMAP×SMAP」などである。いずれも当時熱中してみていた番組だが、ここに「水曜日のダウンタウン」を受け入れる土壌があったとは思えない。

その証拠に、同年代に「クイズ☆タレント名鑑」という「水曜日のダウンタウン」に近い毒気を孕んだ番組もあったが、当時は知る人ぞ知る、というような扱いだった。それはもうめちゃくちゃに面白かったのに、確か1年半ほどで打ち切りになった。あまりに早すぎた番組だったのだ。

あれから10年が経ち、「水曜日のダウンタウン」がヒットし、視聴者の笑いの感性が証明された。「厳しい規制のせいでテレビがつまらない」のも、もはや過去の言葉になった。「厳しい規制の中でも笑いを生み出す」ことが可能になったのは、作り手の技術向上と、視聴者の感性が磨かれた結果だ。視聴者はキャッチボールをするように、視聴率などのバラメータを介して作り手と会話を交わしていく。

ここまでの歴史をもう一度世界に投げかけて、水曜日のダウンタウンを見て世界が大笑いするような感性に磨き上げよう。

Netflixやamazon prime videoの登場でドラマや映画のレベルが格段に向上したように、10年前のレベルから日本のバラエティを順に配信していけば、必ず世界に受け入れられるはずなのだ。

映画監督としても芸人としても世界的に評価されたビートたけしの次には、「世界のお笑いを変えた」松本人志がいるはずなのだ。

だから次は、日本のバラエティを輸出しよう。日本だけで消費するのは、本当にもったいないよ。

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