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Essay Vol.5 "バロック"

※マリーアントワネットは次回持越です

午前十時、下村一喜氏の「美女の正体」を読みながら、マダムとの待ち合わせ場所へと向かっていた.


下村氏は日本で結果を残す前に単身パリへと渡り、某老舗ファッション雑誌との契約を勝ち取り、異例の表紙を飾った人物である.

その後日本に戻り、写真家として今もなお現役で活動している.
逆輸入の才能という点では、村上隆と似ていると感じた.

両者とも日本では我が強すぎて持て余してしまう存在だったのだろう.




私が先日までパリに居たこともあり、下村氏と自分が重なった.
彼はパリで、まず日本の良さを伝えたという.

ここが彼の賢いところである.
私もおそらく彼と同じ理由で、大学時代に日本文化を伝えるコミュニティを立ち上げていた.

日本の文化の良さを本当に伝えられる日本人は少数なため、上手くプレゼンテーションできれば少ない母集団の中で飛び抜けることができる.


日本の文化を盲目的に溺愛していたのなら日本から出ないという選択肢もあったはずである.

「パリに出て日本の良さを伝えた」ということは、彼は戦略的に海外での「日本人」という地位を狙ったと推測できる.



(もちろん日本文化が本当に美しく世界が知るところになるべきものだというのは大前提だが.)




下村氏の戦略的思考、単身渡仏する行動力、実際にチャンスを掴み取るその姿が、
私と重なりつつも、私とは全くレベルが違っており悔しくもあった.


彼の原動力は女性の美しさへの理解に対する自負が強いように見えた.

自分の考えは間違っていないはずだ、それを認められる場所がどこかにあるはずだと信じて行動していたのだろう.


そして願望通り、彼の美的センスが認められる場所があった.

あったというよりは、パリという場所に認めさせたのかもしれない.


私はそこまでの熱意を持つことが出来なかったために彼になれなかったことを見せつけられた気がした.





マダムと合流し、銀座三越のタダシショージで寸法直しをお願いしていたドレスを受け取る.


深い青のマーメイドドレスだ.
まるでギリシャ神話の女神になったような自分を見て、この瞬間を残しておきたいと強く思った.




その後のランチで三笠会館へと伺い、先日のパリ旅行の話になった.

ルトランブルーというレストランのバロック装飾が美しく、
将来はバロック調のサロンで美しいドレスを着てお客様のコンサルティングをしたいのだと自身の将来イメージを伝えた.


その際に下村氏の話となり、持っていた文庫本を見せながら、彼の提唱する美女について話した.


絶世の美女(異形)と別もの(異業)は紙一重であり、すべての女性の美しさは流動的であり、
美女かどうかの鍵を握るのは、冒頭のドリアン・グレイの肖像の一節、これのみであると.






午後九時、マダムとイタリアンのディナーをご一緒している際に、良いものは早く買ったほうがいいという話になった.


地球の資源は有限であり、最高級のものでも昔と比べるとやはり質が落ちているとのことだった.


パールにしても、昔のような質の良いものを見かけることはめったに無い、と.


日本では均一に丸く輝くパールが良いとされるが、海外ではバロックパールの方が人気なのだと教えて頂いた.



バロックパールには個性があるからだ.


「バロックの方がね、より輝くのよ」


シェアしたパスタから昇ってくるポルチーニの濃厚な香りが、一層強くなったように感じた.





午後十時、マダムと別れ、帰りの電車の中で今日のことを思い出していた.


私はバロックパールになるのだ.



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