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自分についてのQ&A その11 つくれる料理は?他


自分らしい場所は?

この場所、というよりも移動している最中がもっとも自分らしいと感じる。散歩したり自転車に乗ったりというのもその延長だと思う。


日本人について

良くも悪くも同質性が高く、均一であれというプレッシャーが強いように思う。これはやはり地理的な環境を抜きには語れない気がしている。ありきたりだが。しかしありきたりだと正しくないのか?というとそんなことはない。アートの歴史文脈において言われることだが、大陸のもの(画風など)は理詰めでアクが強いという。なぜ理詰めである必要があったか?それは、バラバラで同質性の薄い人間同士の伝達において、ロジックこそが共有できるものだったからではないか。つまり、理詰めは必然的な帰結なのであろう。同質性の高さは話が早いという良さもあるのだが、当然海外においては通用するわけもない。話が通じない相手と通じ合わせるための手続きから始めるのはとても面倒だが、そうも言っていられないであろう…というところまで書いて、自分は海外の人と現実的なコミュニケーションをしたことがないので、海外のことはわからない。ということは、日本人という主語を用いた思考もきわめて怪しいものであろう。


やってみたい犯罪は?

どうだろう?犯罪だからやってみたいというのはあるだろうか?思いつかない。やってみたいことがたまたま犯罪になった、ならわかる。犯罪をやってみたいというのは踏み外すスリルということでしょう。こうして真剣に考えてみると、自分はスリルを求めてないと感じる。人生はもう十分にスリリングです。


自分の異常なところ

これね、誰かに診断して欲しいんですよね。あなたはこういうところが逸脱しています、みたいにね。自分ではわからないし、おそらくこういうのって対処療法的に、なんとか問題を起こさずに生活を続けてこられているんだからOKとしましょう、みたいな感じだと思うんです。異常な人って世の中にきっとたくさんいるけど、あまり顕在化せずに、問題にならずに、結果論的に「まとも」な人として誰もが過ごしているのだと思う。だから性質的に「まとも」な人なんて原理的にいない。結果的に問題が表に出なかったからまともである。そういうことだろう。正常とは?異常とは?ちょっと考えさせられますね。


あきらめやすいか、あきらめが悪いか

あきらめやすいと思う。あきらめるための自分への理由を考えてそれに従ったりね。


つくれる料理は?

それほど大したものは作らない。その時にある食材に合わせてクックパッドのレシピをよく見ます。大体シンプルなものばかりなので、見てやれば作れないってことはない。比較的に何度も作る頻出の料理としては、豚肉の生姜焼き、豚汁、だし巻き玉子、肉野菜炒め、ピーマン肉詰め、トンテキ、アスパラの肉巻き、回鍋肉、八宝菜、青椒肉絲、ガパオ…最近は作らないけど昔はチャーハンをよく作っていた。あ、オムライスをフライパンでくるっと丸めて綺麗にするのは比較的に得意かもしれない。

やぶさかではありません!