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岸和田祭と地車の歴史(概要)

森田玲(Morita Akira)

岸和田の地車はとにかく走る。その中でも人々を惹きつて止まないのがヤリマワシ。ヤリマワシとは、辻々に高速で地車を曳き入れ直角に方向転換をして走り抜ける荒技である。勢い余って電柱や民家に突っ込むことがしばしばであるが、これは、もちろん曳手にとっては耐え難い汚点で、何より地車自体に傷が付く。

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写真『日本だんじり文化論』(創元社)

『ソーリャ』の掛声も勇ましく綱を前方に曳く青年団ほか小中学生の男女、前梃子役や後梃子役、そして笛や太鼓の鳴物の心が一つになって初めて美しいヤリマワシが決まる。松製のコマが地面と摺れて焦げる香りを残して地車が目の前を通り過ぎる。

この一連の動きを統御するのが、屋根に乗る大工方で、団扇をはたいて後方の舵取役に、その方向や加減を瞬時に伝える。これは、古く御座船の操舵法を再現したもので、吹散を風になびかせて疾走する地車の姿は、その出自である御座船が川面を滑る姿そのものである。

御座船

地車には、随所に、神話、妖怪退治、源平合戦、太平記、戦国合戦、太閤記、難波戦記、仇討、花鳥、霊獣など、史実に空想を織り交ぜた、精細で躍動感が溢れる彫刻が施されている。

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写真『日本だんじり文化論』(創元社)


岸城神社への宮入りでは、宮本町、上町、五軒屋町を筆頭に、全十五台の地車が、この年一番のヤリマワシを目指してコナカラ坂を上がる。神社に至るまでの城周は、ゆっくりと進み、伸びやかな笛と太鼓の音が美しい。

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夜は、昼間の喧噪とは打って変わって約二百個の紅提灯に彩られた地車がゆっくりと練る。

岸城神社の主祭神は天照大神・素盞嗚尊(牛頭天王)・品陀別命(八幡神)の三柱。牛頭天王は京都の祇園社から勧請したもので、岸和田祭の神賑行事の始まりは祇園祭や天神祭と同じく疫病退散の夏祭にあった。

岸和田祭の神賑行事は延享2年(1745)年で、当初は大坂三郷域の夏祭の影響を受けて太鼓台や様々な形態の曳車、獅子舞などが出た。天明6年(1786)に町方で新調された地車が、城内城下の門をくぐるために大屋根を上下させるカラクリを備えた岸和田型地車のはじまりと思われる。

からくり

9月15日の例祭は、八幡神の旧暦8月13日の例祭日を約1か月ずらして引き継いだもので、八幡神の縁日である。神賑行事である地車曳行は、九月第三月曜日の前日と前々日の土日に行なわれる。

岸和田祭の変遷

現在は、岸和田城下三郷(村方・町方・浜方)の15台の地車に加えて、岸和田天神宮氏子の6台、弥栄神社氏子の1台、合計22町で岸和田祭礼年番が組織されている。

城下町


地車の歴史文化についての詳細は『日本だんじり文化論』(創元社)をご覧ください。詳細 → https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4261

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