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天満(てんま)市場へ

本日は諸用で天満市場へ。江戸時代の大坂三大市場(堂島米市場・天満青物市場・雑喉場魚市場)は、すべて天満宮の氏地にありました。『日本だんじり文化論』では、江戸期に天満市場が所有した珍しい三棟造の地車(通称・三ツ屋根地車)についても詳しく述べています。現在の地車は嘉永5年(1852)の製作で、天満宮(大阪天満宮)950年祭に合わせて新調されました。先代は天保8年(1837)の大塩の乱で焼けています。

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 江戸時代はレンタルの「借受(かりうけ)地車」(筆者の造語)が多く、「蔵持(くらもち)地車」(筆者の造語)は財力があって保管スペースを確保できる町や仲間に限られていました。明治に入ると、天満宮氏子の蔵持地車は、あいついで失われ、数台は天満宮に奉納されました。天満市青物場の地車は、明治29年(1896)年に天満宮に奉納され、次の年からは境内に飾り付けて地車囃子と地車踊が披露されるという形態になりました。平成元年(1989)年に曳行が復活し現在に至ります。

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『日本だんじり文化論』創元社
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