“ごめんなさい”と責任範囲。
申し訳ないとかごめんなさいとか、そういう言葉ってよく使うじゃないですか。
こうした言葉と責任について、今日は話したいと思います。
そもそも責任って何か。
そもそも責任ってなんなのかを明快に説明することって難しいですよね。
辞書にはこう書かれています。
自分が関わった行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
つまり責任は自分が関わった範囲に対して、生じるものだと考えられます。
この時に、人が何を自分の関わった範囲だと捉えるかによって、その人が責任を感じる範囲が変わります。
みんなが自分のことにしか (ときには自分のことさえ)自分の関わった範囲だと思っていないと、ある組織で起こった問題がみんなの関わった範囲ではないため解決されないということが容易に起こりえます。
一方で、広く自分のことを関わった範囲だと捉えると、ある事象に対してより多くの人が「責任」を感じるため、多くの人が主体的に改善しようとします。
そういう意味で、何かに対して責任を負おうとする意識(=当事者意識)はとても大事なものです。これを持っているかもっていないかによって、ある問題が解決されるかどうかが変わってきます。
“ごめんなさい”について
たとえば、自分がいる組織である問題が起きたとします。
それに対して、自分が直接的に関係なくてもごめんなさいと相手に伝えられる人はどれだけいるでしょうか。
ごめんなさいと言えることがどうして大事かというと、ごめんなさいって言葉は「僕に責任があります」って意味だからです。
ごめんなさいと言えるということは、その事象に対して当事者意識があり「責任」を感じているということ。
だから、そうやって言える人にはその問題は変えようがあると思っています。
逆にごめんなさいと言えない人には、その問題を変える余地はないでしょう。
だってその人にとっては、その問題は自分の「責任」ではないからです。
ごめんなさいと責任範囲
あらためて、ごめんなさいとは、「それは僕の「責任」だから、僕がそれに対して何か改善を試みます」という宣言みたいなものだと思っています。
ごめんなさいが言えないってことは、当事者意識がないってことだと思います。
そう言い切れるのは、状況を知らないことはそもそも関わろうとしていないからで、誰にだって状況さえ知っていれば変えるための働きかけはできるからです。
何かを変えようと思ったら、当事者意識をもって「ごめんなさい」を言えることが大事です。
それができなければいつまでも誰も責任を取ろうとせずに、状況は変わりません。
今の自分に手を当ててみてください。
どこか他責をして関わろうとしていないところはないか?
ごめんなさいと言わず、一歩引いて自分が解決主体になることから逃げていないか?
心当たりがあるんだとしたら、自分が「ごめんなさい」という気持ちがあるのかを問い直し、あるなら行動に移してください。
それができないのであれば、周りの状況を受け入れてください。
それがきっと、自分の周りの現状を変える一歩になります。
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