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【不合格体験記】高校受験で不合格だった話【偏差値36が偏差値67の県立高校に憧れ続けた2年間】
こんばんは。
悲しいメトロノームも久しぶりに投稿できましたので、たまには自分のことも書こうかと。悲しいメトロノームの更新をお休みしていた理由は、受験勉強に専念するためでした。
まあ、その受験はタイトル通りダメだったのですけれどね。
もう合格発表から3週間。実はまだ受け入れられていませんが、心の整理をつけるために記事を書いてみることにします。
※長いです
注意 多少フィクション混じってます
話の中に登場する県立高校は特定していただいても構いません(できるように書いてます)が、実際の校名をコメント欄には書かないでください
小学6年生
この時は意外にも勉強に対して意欲がありました。塾にも通っていましたし。
そしてなぜかこのころ、女子校への憧れを抱くようになって、とある女子校の過去問を購入し、演習していました。結局受験はしなかったんですけれどね。(今思えばその女子校に春から通うことになったので何かの縁だったのかも)
中学1年生
勉強から逃げ続けた日々
中学1年生は、私にとって激動の年でした。
この時、実は結構自分が何者なのかということで悩んでいて、かなり低迷していました。(今思えばただの中二病ですが……)部活も結構ハードな吹奏楽部に所属していて、それはとても楽しかったのですが、体力のなさから常に無気力に過ごしていました。そして少ない休みに小説を書くことが生きがいだったような気がします。
でも一学期まではそこそこの成績を維持し、6月に塾で受けた模試では市内で一番の高校(偏差値63くらい)の合格率が50パーセントした。
ですが、二学期末テストで事件は起こりました。
数学でまさかの24点を取ってしまったのです。一番高い点数が国語の68点。これは由々しき事態です。3者面談でもやべえぞお前的なことを遠回しに言われていました。
でも私はどうにかしようとはしませんでした。
別に高校なんていかなくたっていい。中卒でいい。てか、そこまで生きれるのかもわかんない。規則にこれ以上縛られるのなんて嫌だ。てか学校という組織が嫌い。
冗談抜きでこういう思考でした。通信制の高校は私には無理(自律できないので)だと思っていたので、まあ親や教師に何か言われたら神奈川県で最も偏差値の低い公立高校に入れればいいや、と思っていました。
(ちなみに10月に受けさせられた模試ではそこでさえ危うかったです)
ちなみにこの年、角川つばさ文庫小説賞で、玲汐華留名義で入賞させていただきました。それが一番の喜びだった記憶があります。
飛び込んできた一筋の希望
あれは2月中旬のことでした。
私が住んでいる神奈川県の、県立(市立)高校の最終倍率が教室に貼られていたんです。で、みんなそれをワイワイしながら見ていて。私はどうせ関係ないことだし、って見ていなかったんです。
でも、掃除の時間に、ほうきで教室の床を掃いていたときに、人生が変わりました。
床のマス目に沿って、一列ずつ往復して掃いていくんですけれど、たまたま貼られてある最終倍率の紙が目に入って。そして近くまで来たとき、はっきりと私に見えた文字。
「舞台芸術科」
もう1往復する際に、しっかり高校名まで確認しました。
あの時の私は、まさかこの出来事が人生を変えるとは思ってもいませんでした。
演劇が大好きだった(今も)
小学校4年生の10月に、体育館にとある劇団さんが公演に来ていて。ミュージカルだったんですけれど。なぜかそれがずっと頭から離れなかったんです。それまで舞台とか全然見たことがなかったんですけれども、役者の熱が伝わる感じとか、音圧とかはほかには代えられないなって思って。そこから劇団四季とかめっちゃ見に行くようになりました。もちろんその劇団さんも大好きで、その公演に出演されていたとある役者さんの舞台はほとんどチェックしています。
興奮冷めやらぬ日々
高校名をしっかり手の甲にマッキーでメモした私は、帰宅してからすぐにスマホを開き、その高校名で検索をかけました。
みんこうの口コミから、その学校には校則が自転車通学禁止しかないこと、制服もないこと、単位制で自分で時間割を組めること、演劇部が活発なこと、クラスという概念が薄いこと、ほかの学校にはないような授業も受けられることを知りました。私が求めていたような高校がそのまま存在していたのです。
私はその時、確信しました。ここしかない、と。
ですがみんこう偏差値でそこは66(当時。今は普通科67、舞台芸術科60)。
当時偏差値36(全権模試)だった私には無謀すぎました。
ですが私は、なぜかこの高校が頭から離れなくなりました。
そしてついに、母に打ち明けました。「この高校に行きたい」と。
アルファベットの大文字小文字、分数の通分すらわからなかった
その時の母の返事は覚えていません。否定はされなかったのは確かです。
さすがに舞台芸術科は無理だろ(実技があるので。レッスン歴ゼロ)ということで、普通科の2つあるコースのうちのひとつを受けよう、ということになりました。
めちゃくちゃざっくり説明すると、普通の高校と同じようなカリキュラムで、学校独自の授業が多く取れるコースが一つ目。(以下Aコースとします)
第2外国語や国際系の授業が必修のコースが二つ目。(以下Bコースとします)
なぜBコース受験を決めたのかといいますと、単純にAコースより倍率が低い年ばかりだったからです。ただ、Bコースは入試の際に英語の得点が二倍になるので、英語を頑張る必要がありました。
また先述したように、私の偏差値は36。すべての基礎がなっていない状態です。対し、目指す高校(以下K高校とします)は偏差値66。旧学区トップです。
しいて言うなら、まあこうして文章や小説を書くこと、読書が好きだったので国語が少しだけ得意でした。それでも偏差値48ですが……。
実はそれが結構なアドバンテージになっていたので、やはり国語はすべての教科の基礎だったんだなあって思ったりもします。
小学生のやるような計算ドリルから始めました。それすらも苦戦しました。そして英語はアルファベットの読み書きから始めました。
こうして私の地道な受験勉強が始まったのです……。
意気消沈
そんなこんなで迎えた中一の三月、模試。
今回は行けるやろー! せめて偏差値50にはいきたいな! そんな淡い期待を胸に問題用紙を開きます。
なにこれ、長すぎ。
それが英語の長文を見た感想でした。一ページまるまる英文。気が遠くなりそうです。数学も、国語も、理科も、社会も。すべての意味が分かりません。
当たり前ですが、私が小学生用のドリルをやっている間にもほかの人はどんどん先に進んでいくのです。
結果はこんな感じでした。
英語 48(偏差値)
数学 29
国語 45
理科 42
社会 49
3科 39
5科 41
K高校合格可能性 20パーセント未満
なぜ???? なぜ私はこんなに頑張っているのに???? と当時は本気で思っていましたが、当たり前です。だってみんなとはすでにスタート位置が違うから。
でもここで私はあきらめて、失速してしまいました。私にはK高校なんて夢物語なんだ、と。
そうしてそのまま中学1年生が終わります。
中学2年生
自信回復の一学期
とはいえ、実は意外と何とかなりました。
勉強していくうちに英語がおもしろくなってきたのです。意味の分からなかった長文が少しずつ読めるようになってきて、通っていた個別塾では、夏休みで中二の範囲をほぼ終えるくらいには得意になりました。
一学期の担任との教育相談でも、「K高校に行きたいです!」と言ったら、「いいんじゃない? がんばれ!」と言ってくれた記憶があります。
英検3級もなんとか(笑)取得し、割といろいろなことを楽しんでいました。
この時期が一番幸せだったのかも。
ちなみに中二の8月に受けた模試の結果がこれです。塾の模試です。
英語 60(偏差値)
数学 40
国語 49
理科 47
社会 63
3科 51
5科 53
K高校合格可能性 40パーセント
(まあ国語どうしたって感じですが)中一に比べれば割と進歩したと思います。そっから勉強の意欲がめきめきと湧いてきて、合唱祭では指揮者なんかやっちゃったりして、転部先の放送部では何故か副部長をやったり、コロナに感染しながらも割と楽しい生活を送っていました。
ですが、三学期で事件が起こります。
起立性調節障害(意気消沈part2)
急に朝起きられなくなりました。眠いとかじゃなくて、頭がずーんと重くて、目を開けるにしてもだるい。でも夜には元気になる。病院に行ってくだされた診断が、起立性調節障害。
起立性調節障害(きりつせいちょうせつしょうがい)(orthostatic dysregulation, OD)は、起立時の不調を中心とする症状群で、本邦では小児科でよく用いられる。原因は十分に明らかにされていないが、血管迷走神経失神/神経調節失神の1型と考えられている。起立試験を行い、循環器系を含めた症状再現を確認する。一般に良性であり、適切な治療や支援を行うことによって回復する。
(中略)
10歳から16歳に多く、日本の小学生の5%、中学生の約10%にみられ男女比は 1:1.5〜2 と報告されている。
(中略)
循環器系の障害として捉えられており、自覚症状としては立ちくらみ(血の気が引いて意識が遠のき、しゃがみ込みたくなる感じ、いわゆる[脳]貧血)が多くみられる。
もともと朝型人間だったのでショックでした。それからは血圧をあげるお薬とかを飲んで、少しづつですが回復していきました。今では軽い立ち眩みなどはありますが、ほとんど完治しています。
三学期はそのせいでほとんど学校に行けず、気力も失せて、結果成績もダダ下がり。偏差値は45にまで落ち込みました。
あの時図書室でお話を聞いてくれた学年主任の先生と、温かいメッセージをくれた担任の先生には今でも感謝しています。
大事なこと
ですが私はここで大事なことを思い出しました。
神奈川県の高校入試では、まあ当然ながら内申点が用いられます。
それなんですが、中学二年生の三学期の内申点も入ることを私はすっかり忘れていたのです。三学期は学校に行けなかったので、まさかの内申点は27でした。
中三の二学期の内申点が2倍されて、それが足されます。もし仮にそれも27だと計算すると、入試で使われる内申点は27+27×2=81。
そのくらいの内申点で行ける高校を検索してみると、偏差値45から50行くか行かないか。これではまずい。
私は自分の情けなさに泣きました。
中学3年生
結局またやり直し
三年生になって、転塾しました。前の塾は小5からお世話になっていたので、少し名残惜しかったですが、自分を変えるにはここで転塾するしかないって思いました。
新しい塾のスペックです。
大手個別指導塾(前の塾も大手だが、それより大手)
大手通信教育会社グループ
自習室完備(前の塾にはなかった)
当時築1年未満で綺麗
天井が高く圧迫感がない(前の塾はマンションの一室だったので……)
自宅から徒歩7分(前の塾は20分)
講師指名制
進学実績は不明(そもそも個別だし)
ここで心機一転頑張ろう、って思いました。転塾は今考えると正解だったなと思います。
明るい教室長に歓迎され、英語と数学を受講しました。どちらの先生にも一年間本当にお世話になりました。自習室は高校生に交じって利用しまくって(?)ました。
ここを紹介してくれた友達には感謝です。
さあ、ここでK高校に向けて頑張ろう! と思いましたが、私にはやらねばならないことがありました。
第二希望が見つからない
そう、第二、第三希望を見つけること。
最初の進路相談で無謀すぎる(意訳)と言われたのがきっかけです。
さすがにK高校はレベルが高すぎると思い、探しますが、やはり私の中での理想はK高校だけでした。なかなか見つかりません。
K高校のおかげで英語や国際関係に興味を持ったので、(順序逆だろって感じですが……)国際系の学科もいいなと思い、私は以下の志望校で通すことにしました。
第一志望 K高校普通科Bコース 67(偏差値)
第二希望 Y高校国際学科 58
第三希望 K2高校総合産業科 50
Y高校はこの偏差値帯とは思えないくらいに英語や国際教育に力を入れていて、とても魅力的に感じました。けれど遠いので微妙でした。
K2高校は制服がなく校則が緩いことなど、K高校に校風が似てて、(ちなみに名前もめっちゃ似てます)単位制であることも魅力だと思いました。仲良くさせていただいている先輩もいらっしゃいます。ですが学校がそもそも理系よりのため、私がやりたいこととは剥離がありました。
やっぱり私にはK高校しかない、そう思って勉強していました。そしてなんとか夏休み前に偏差値を55まで戻しました。
この時、初めて数学の偏差値が50に乗ったのが地味にうれしかったです。(K高校は国数英+理社選択なので理科は見逃して下さい)
英語 63(偏差値)
数学 52
国語 53
理科 44
社会 57
3科 58
5科 55
地獄の夏休み明け
夏休みは一日八時間塾にカンヅメでした。きつかった。ほんっっとにきつかった。
夏休み明けの模試では絶対いい結果が出る! それだけを信じて勉強してきました。吐き気がしそうなほどに苦手な数学にも、結構本気で向き合いました。
過去問では英語がついに90点に乗ったりと、割と快調。このままだったら間に合うよ! 塾の先生もそう言ってくれていました。
そんなこんなで迎えた夏休み明けの模試。さあかかってこい!
そう思いながら挑んだ模試はかなりの手ごたえがありました。ですがその結果は散々なものとなります。
英語 65(偏差値)
数学 49
国語 51
理科 56
社会 51
3科 57
5科 56
言葉が出ませんでした。大体なんで理科の偏差値上がっとんねん。なんであんなにガチったのに数学下がっとんねん。てか国語どうした。
ショックでどうにかなりそうでしたが、私はちょっと前に読んだ中学受験マンガ、「二月の勝者」を思い出しました。
夏の成果は九月には出ません!(ニュアンス)的なことを黒木先生は言っていたではないか。それはもしかしたら高校受験でも同じなのでは?
(夏はみんな頑張るから偏差値の変化が出にくい)
そんなことを思い出せたので、それほどモチベは下がりませんでした。くろっきーありがとう。
やっぱり大好き
そうはいっても、やはり成果がでないのはつらいものです。9月中旬あたり、もう志望校を先述した二校のどちらかに変えようか。そう思っていました。そんな中で、私はとある場所に行きました。
そう、K高校の文化祭。
私はそれほど積極的なタイプではないので、ブースを活発に回って楽しむというわけではありませんでしたが、K高校に通う生徒さんたちを見ると、皆さんキラキラしていて。私も来年、ここに混ざれているのかな、と期待に胸を膨らませました。
私は在校生とお話ができるブースを訪れました。そこで、生徒さんのお母さま方に囲まれ、「第一志望?!」「どこから来たの?!」などたくさんお話をし、どら焼きまでいただきました。笑 ちなみにそのどら焼き、もったいなさ過ぎて食べれていません。もう賞味期限切れてるのに、まだ勉強机に貼ってある「K高校、行くぞ!」の紙の横においてます。笑
お話してくださったのは、三年生のBコースのお姉さんでした。お姉さんは塾に通わずに合格されたそうで、勉強のコツや、K高校の楽しさについて教えてくれました。
多分、そのお姉さんのことは一生忘れられないと思います。私の沈んだハートにまた火をつけてくださったから。本当に、本当にありがとうございました。
で、帰りの電車でそのお姉さんのことを思い出し、絶対に、絶対にK高校に受かってやる! と決意を固めました。もう脇目は絶対に振らない。私にはK高校しかない。そう思い、一層勉強に打ち込みます。
大飛躍!
そんなこんなで迎えた11月の模試。私はその結果を見て、飛び上がる思いでした。
英語 68(偏差値)
数学 56
国語 61
理科 44
社会 65
3科 64
5科 61
合格可能性のバーもどんどん右に寄っていきます。頑張ってきてよかった! K高校のお姉さんありがとう! そんな気持ちで、私のモチベはぐんぐん上がっていきます。
そういえばちょうどこの時、演劇の県大会がありまして、一人で桜木町まで見に行きました。K高校を見るために。
パンフレットに見覚えのあるお名前(見に行ったことのある舞台に出演されていた)があったり、そもそも部員数がものすごかったり、装置が凝っていたり……。
本当にK高校はすごいんだ、絶対行きたい! いや、行く!
そんな思いでまたモチベが上がりました。
ここに来て崩壊(意気消沈part4)
元旦は行きたくなかったけど父方の祖母の家に行きました。
ですが祖母に成績のことでいろいろ言われました。そこまではまだよかったのです。
妹についての話があって、それが私の心に深く突き刺さりました。意訳すると、妹が出来が悪いみたいな感じの言葉です。
確かに妹は勉強はできないけれど、それ以上にいいところがあるし、どうしてもそれがもやもやとして残りました。
午後は勉強のため家に戻りました。(近場です)
1月1日の午後4時。能登で地震が起きました。ここ神奈川ではそんなに揺れなかったものの、あまりにも揺れが長いので、私は愛犬を抱いて玄関に逃げた記憶があります。
テレビをつけたら、そこにもう穏やかな元旦はありませんでした。
私は山形のほうに親戚がいるので不安でしたし、テレビから流れてくるつらい情報に泣きそうになりました。自分は何の被害も受けていないのにも関わらず、テレビもスマホも見るのがつらかった。夜にはまた祖母の家に戻りましたが、頼むからテレビを消してと言いたかったです。
1月2日には飛行機の事故がありましたね。旅客機側の乗員乗客は全員無事だったのは本当にすごいなと思いました。ですが、海保側の飛行機の方はお亡くなりになられたし、旅客機に乗っていたペットだって……。(人命よりペットを優先しろと言っているのではありません)
このこともいつか記事にしたいなと思っているのですが、私は感受性が高く、すべてのことを考えすぎてしまう性格をしています。だから悲しいニュースの類がとっても苦手なのです。ただでさえメンタルが危うい直前期にこのようなニュースがあったのはとてもつらかったです。
でも、被災者の方のほうが何倍もつらいのです。どうか一日でも早く日常が戻りますように。そして事故で大切なペットを失ったり、大事なものを失った方にもお祈りいたします。
私の心はぐちゃぐちゃになってしまい、勉強に手つかずでした。
冬休みが明けても、学校に行こうとすると吐き気が止まらなくなりました。何とか行こうとするものの、昇降口でやっぱ無理! となって無断帰宅してしまったり、なぜかせっかく伸ばした髪の毛をまた自分でばっさりと切ってしまったり、片足裸足で出かけたり……多分いろいろとおかしくなっていました。
1月は学校に行けない日々でした。塾だってあまり行けませんでした。
もうちょっとで、手が届きそうだったのに。
涙の志願変更期間
1月はほぼ毎日泣いていました。無力さと無念でたまらず、勉強なんてできませんでした。常にベッドにいました。
この時私は耳にイヤホンをぶっさしていろいろな曲を聴いていました。
特に聴いていたのは、Oh WonderのLandslide。夏から、ずっとつらくなった時にはこの曲を聴いていたのですが、直前になってこの歌詞が心にしみました。
I know iy hurts sometimes (傷つくこともあるよね)
But you'll get over it(でもきっと乗り越えられる)
You'll find another life to live(別の生き方も見つけられる)
I know you'll get over it(あなたなら乗り越えられる)
I know you're sad and tired(悲しくて、疲れているよね)
You've got nothing left to give (自分が空っぽになったみたいだよね)
But you'll find another to live(でも別の生き方だってある)
I know you'll get over it(あなたなら乗り越えられる)
歌詞の状況がまんまだったので、この曲が本当に大好きでした。
でも、You'll find another life to live ができる気はしませんでした。私にとっては、K高校しかありえないのだから。
なんだかんだで1月が終わり、2月に入りました。志願変更前倍率は1.29。例年に比べれば低いです。ですが当然落ちる可能性のほうが高いです。
というのも、あのぐちゃぐちゃの状態で受けた最後の1月の模試は、途中で頭が真っ白になって過呼吸になり、途中退席してしまいました。本番でそれが起こらないとは限りません。というわけで、教室長と面談しました。
別にK高校に行けたからって幸せってわけじゃない。ほかにも高校はたくさんある。教室長は私のことを思っているからこそ、K高校の受験を止めてくれました。
ですが私は心の中で固まっている決意を動かすことはできませんでした。
結局、志願変更期間の最終日の前夜に、私は教室長にこう言いました。
「私はK高校のためにここまで頑張ってきたんです。もし受験できなかったら、一生後悔します!」
こうして私は半ば押し切る形でK高校に最終決定しました。
自信なしの私立併願
2月10日。私立の併願は小学6年生の項目で書いた女子校を受験しました。偏差値的にも妥当で、女子校であることが理由。制服も可愛い。
元々書類選考でCコース(仮名)は抑えていましたが、Dコース(仮名 Cコースより偏差値が上)あわよくば特待生を狙いたいと思い、筆記試験も受けることに。(内申点が足りず、Dコースは書類選考で狙えなかった)
国数英の三教科で、国英はかなりの手応えがあったものの、数学は半分も取れていなかった(と思います)。
こりゃあダメだ。でもCコース行ければいいや。
試験会場で、塾の数学担当の先生に貰ったお手紙を読みながら自分を落ち着かせていました。
私立は合格発表が早いので、翌日の11日の9時(多分)に結果を見ました。
特待生の認定には至らずでしたが、Dコースに入れました。
あくまで併願とはいえ、結構嬉しく、安心したのを覚えています。3日後に迫った本命、K高校の受験に向けて自分を鼓舞させました。
ついに迎えた2月14日
根拠の無い自信を胸にK高校へと向かいます。行きの電車で、学校の先代ALTと遭遇したり、自分と同じ受験生を見かけて少し安心していました。
K高校最寄り近くになって、電車が地下から出るのですが、その時に窓いっぱいに広がるK高校校舎を見て、自然と頬が綻んだのを今でも覚えています。
試験監督の人が結構カッコよかったのは覚えています。笑 机のガタガタにもティッシュを挟んで対処し、口の中にクッキーを放り込んで落ち着いてその時を待ちました。
失敗として……花粉症のため鼻にティッシュ詰めてたんですが、試験前に必ず本人確認をするのでマスクを外します。私大慌てでティッシュ抜きました。皆さん気をつけて。笑
で、その試験ですが、本当に難しかった。まじで難しかった。英語は英作文のミチコのビジュで吹きそうになり、動物園の回る順番の問題で気が狂いそうになりました。国語は古文がまじで無理だった。てかファッションが言語ってなんやねん! 数学はワケワカメ、急に食塩水出すな! 社会はまだできたかな? って感じでした。
見直ししたところが全部間違ってたのが自分的にショック。見直すな。自分。
あと、国語の試験中に気持ち悪くなって手を挙げたのに監督に気づかれなかったのもショック。
まあそんなわけでハイになりながら帰宅。自己(事故)採点!
……?? 英語75点? そんなバナナ?
私の内申では合格するのに約440点は欲しかった。にも関わらず約340点。
私は泣きそうになりながらも𝕏に呟きました。
難しすぎた。わたし頑張ったつもりだったけど、合格ボーダーより100点も低かった。1時間目から泣きそうになった。
けれど最後まで諦めなかったわたし偉い。明日の特色検査も頑張ろう。
#神奈川県公立高校入試
現在アカウントは非公開ですが、このポストは118いいねを頂きました。そしてたくさんの方に励ましの言葉を頂き、同じ受験生の仲間と繋がることもできました。
これ以上考えると明日に支障がでる。そう思い私はさっさと寝ました。
波乱万丈特色検査
K高校に着いたのが割と遅くて、もう教室に皆さんいらっしゃいました。
K高校Bコースの特色検査は国際的なテーマに関する討論でした。集合時間からテーマ配布まで時間があって割と暇だったのを覚えています。
テーマは、オンラインツールが発達しているのに留学する意義はあるのか? でした(要約)
テーマ配布から30分間で紙にメモなどして考えをまとめます。そうして、振り分けられたグループごとに移動しました。
司会を立ててはいけないので、各々が挙手をして自分の意見を述べていく感じです。これが結構刺激になっておもしろかったです。自分から意見を言えたのが1回だけというのが惜しかった。
最後に45秒で自分の意見を発表します。これも皆さんの意見がおもしろかったです。収まらない人結構いました。そうなったら強制終了です。
校門でハッピーバレンタイン! と言ってチョコを配っている男子がいました。美味しかったです。ありがとう。
電車の中で校舎を見つめ、絶対また来る! と微笑みました。もう来ることは無いとも知らずに。
帰りに横浜駅であんぱん買いました。そこのあんぱん美味しくて好きでよく食べてたんですが、もう食べたくない。もう横浜駅にも行きたくない。
運命の合格発表
合格発表までは2週間。心にぽっかりと穴が空いたようにして過ごしました。あんなに嫌だった勉強も、もうしなくて良いとなると何となく心細いものです。
でも、合格発表前日にはなぜか根拠の無い自信がありました。なぜか発表の日が近づくにつれて自信が湧いてきたのです。絶対受かると、そう信じていました。
ネットでの合格発表なので、じたばたしながらその時を迎えました。そして朝9時。意外とすんなりサイトに入れました。
下にスクロールして出た文字は、不合格。
妹と母と私とであちゃーって言ってました。不合格者は中学に報告しに行く決まりなので、私はソッコー行きました。
早すぎて昇降口閉まってました。うろうろしてたらある生徒が来たので、これ入っていいよね? と確認しつつ、一緒に入りました。
一番乗りでした。そして担任に笑顔で報告。そのまますぐ帰らされました。
何故かその時の青空がとても綺麗でした。
その後カフェラテを母が買ってきてくれました。だけど8割こぼしちゃってごめんなさい。
あの時は、私も母もハイになっていました。実感なんてなかったです。
不合格という文字に秘められた呪いが襲いかかってきたのは、もう少し後のことでした。
徐々に襲ってきた悲しみ
まあその後、ハイになった勢いで母親がちゃっちゃと私立への入学手続きを済ませてくれたわけです。その時、私の中にずっとあったK高校への決意にヒビが入りました。
何かが違う。だけどもう時は戻せない。私はあの私立へ行くのです。
そしてその翌日、泣きながら学校から帰ってきました。学校には幸せそうな人達が沢山いるからです。その人達を見て、私の頭の中に走馬灯のようにK高校の思い出が走りました。
掃除の時間に出会ったK高校。小学生の計算ドリルをやった中一の春休み。K高校のおかげで頑張って治療できた起立性調節障害。K高校のために泣きながら勉強した。模試の結果に一喜一憂した。文化祭で出会ったお姉さんとのお話。演劇の県大会で見た、K高校演劇部の素晴らしい公演。大成功した模試。そしてメンタルがぐちゃぐちゃになりながらも、周りの反対を押し切って、足りない内申と偏差値でK高校を受験した。結果、不合格――。
恐ろしいくらい鮮明に蘇りました。
そして、涙が溢れました。私も今これを書きながら泣きそうです。
当然の報いだったというのもわかっています。自分には見合わない、頭のいい高校であったということも。
それなのに私はずっと、K高校とは運命の出会いをしたんだ、だから絶対入れるんだ、そう信じて頑張ってきました。それが全部、全部無駄だった。
みんな応援してくれたのに。お金だって沢山かけちゃったのに、私立に行ったらまたかかっちゃう……!
やばいです、書いてたらマジで泣けてきました。笑
その晩、教室長との面談でした。
切符を用意してあげられなくて申し訳ないと謝られてしまい、なんで私はもっと頑張れなかったんだって思いました。
でも、これ以上頑張るったって何を頑張ればよかったの? とも思います。
そして教室長とはその後のお話。あなたが行く私立校はこういうカリキュラムで……というお話をされて、私は本当にここに行くんだ、と思いました。それがとても悲しかった。
そのまま日々が流れてく
制服採寸も終わり、卒業式も終わった。大好きな国語の先生への手紙も書いて出した。読んでくれたかな?
採寸の時に買った制服とローファー。私は4月から、こんな窮屈な制服に体を、ローファーに足を突っ込んで登校するんだ。K高校じゃないところに。
私のお気に入りの服で体を包み、ブーツで足を飾ってK高校に行くことをずっと、ずっと思い描いていたのに。
私は未だに受け入れられていません。なんかの間違いでK高校に本当は受かってるんじゃないか。そう信じてしまいます。
でも、受け入れるしかないんですよね。
無気力な日々を過ごしています。この春休みが最後の癒しかな。
私は4月からどうなってしまうんだろう。わかんない。
以上、私の受験ものがたりでした。
自己分析
やはり意気消沈しすぎたなというのが振り返ってみての感想。お豆腐メンタル、社会不適合者なので仕方ないと言えば仕方ない。
あとちょっと作戦をミスった気がする。夏休みになぜか理科の授業を取ってしまったのと、中三で英検準2級に時間を取られてしまった。
あとは単純に勉強のための体力が足りなかつた!! あと内申点をとるための体力も!!
未来の高校受験生へ伝えたいこと(説得力皆無)
余裕が無い時こそ日常を送った方がいい
私はスマホはまとまった時間で使用していました。やっぱり無理しない方が長続きします。勉強嫌いな方なら尚更。あまりにもインスタに浮上してると質問箱で怒られるので注意。
併願は本当に納得いく場所にすること
さもないと今の私みたいになります。第1志望を探す勢いで併願を探すこと。私は今になって理想の併願校(それも中一の時にちょっと考えてたところ)見つけてめちゃくちゃ後悔してます。マジで第1志望と同じ要領で探してください。
まあ作戦として、マジで行きたくない所を併願にする人もいるらしいですが。
内申点は大切。本当に大切。
神奈川県は2次選考(当日点と観点別評価)あるとはいえ、結構な競争率ですし、内申点はあって困ることはありません。他の県だともっと比率が高いところもあると聞きます。マジで内申点は大切です。
勉強しておいた方がよき
言わずもがな。私は中一まで高校なんてどうでもいいって思ってたのに偏差値67の高校を目指すことになったんですから。自分の選択肢を広めておくことに越したことはないです。
体力大事
内申点を取るためにも、受験勉強をスムーズに遂行するためにも、実は体力が大事です。勉強に慣れていない人や嫌いな人こそ。万年文化部の私にはキツかった。歩く習慣を身につけるか、ストレス発散にジャンボリミッキーでも踊っときましょう。あと体力は地味に遠くの学校に通うためにも必要。
成長したなと思うこと
受かった人に、自分の感情を押し殺して、笑顔できちんとおめでとう、と言えたのは私の成長したところだなと思います。受験を経て、受かった人の裏にある努力まで読み取る力もつきました。私より何倍も頑張った方が受かっているんです。これは紛れもない事実。人の苦しみがわかると、人の幸せもわかるようになるんだなと思いました。私は今回幸せにはなれなかったけれど、いつか幸せになれるのかな?
あと、先述したように、私はこれ以上頑張るったってどこを頑張ればいいのかと思います。つまり、もっと頑張ればよかったとは1ミリも思っていません。だって頑張ったもん。私。そう思えるまでに頑張れたのは大きな成長でした。頑張ることのキャパシティが人より小さいのは事実ですが、でも私は満足です。K高校のおかげで結構頭良くなりましたし。笑
最後に
多分、K高校を求めて、ずっと憧れてきた日々は一生忘れられないと思います。こんな輝く日々をくれたK高校に、精一杯の感謝を。大好きです。ずっと。
そして応援してくださったすべての皆様に感謝を。ありがとうございます。そして、本当にごめんなさい。
今は勉強する理由がわからなくて休憩中だけど、いつか前を向けたらいいな。K高校のさらなる繁栄を心から祈っています。
そして未来の高校受験生へ。
頑張れ。私は精一杯のエールを送ります。
乱文乱筆で長くてすみません。
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