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甲賀市の地域おこし協力隊になりました!

本日、甲賀市長より委嘱を受けて、甲賀市の「地域おこし協力隊」になりました。

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地域おこし協力隊とは、総務省の地方創生にかかる制度で、地方への定住を促進する制度です。もう10年以上続いていて、5,500人以上の方がこれまで各地で活躍しているという、息の長い人気のある制度なのです。

最長3年で給料や活動費をもらいながら、地域に溶け込んでその地域の課題を解決するお手伝いをし、任期終了後はその地域に定住しようぜ!というこの制度。数いる隊員の中で、忍者の地域おこし協力隊は史上初かもしれません!

つまり、今日から僕は甲賀に移住して、忍者で地域を盛り上げていく活動をするということになります。今、このnoteを甲賀から書いています。

今日は僕がなんで地域おこし協力隊に応募したのか、任命された記念に認めていきたいと思います。

いつか忍者の里で暮らしたかったけど…

僕は忍者だったら誰にでも何にでもホイホイついて行く「シノビッチ」と言われるほどの、誰もが認める生粋の忍者オタクです。

小さい頃から忍者や忍術がほんのり好きで、社会人3年目くらいで忍者にどハマりし、全国の忍者施設に行ったり、自分で忍者の情報サイトを作ったりしていました。

3年前にそれまで勤めていた会社を辞めて、日本の忍者ゆかりの地が集まって忍者文化や忍者観光を盛り上げることを目的とした団体に転職しました。同時に、三重大学大学院の忍者・忍術学コースの第一期生として、東京から三重まで毎週通いながら、先日無事に修士号を得ることができました。我ながら忍者街道まっしぐらです。

僕には忍者でやりたいことが沢山あって、前に「人生でやりたいことリスト100」を作った時も、そのほとんどが忍者関連のことばっかりでした。僕から忍者の要素を取ったら、何も残らない廃人ができあがるのではないかというほど、僕の構成要素の90%くらいは忍者でできている、と言っても過言ではありません。

忍者の二大ブランドといえば伊賀と甲賀です。忍者や忍術の研究をしていて改めて思いましたが、やはり伊賀・甲賀がすべての忍者の原点であり頂点で、忍者オタクにとってはもはや「メッカ」なのだと思っています。

そんな伊賀か甲賀の古民家をからくり屋敷に改築して、そこに移住して、忍具を作りながら暮らすのが老後の夢でした。忍者の聖地で「忍者屋敷にいる怪しい忍者じじい」として、周りに若干の警戒をされながら余生を過ごすのって、最高ですよね。

そんなこんなで、もう40年後とかそんくらい先の未来に伊賀or甲賀に移住することは考えていました。漠然と遠い将来の話だと思っていたのですが、運命のいたずらなのか、いろんなきっかけがあって移住が早まってしまいました・・・!

「忍者」という大カテゴリの限界

前の会社を辞めて、忍者コンテンツによる観光振興や文化振興を行う団体で働き始めて、早いもので3年になります。

人数も予算も少ない中で、忍者旅行商品の造成、忍者体験プログラムの開発、忍者関連イベント、忍者商品やサービスの開発・監修、忍術教育プログラムの構築、広報、忍者のマネージャーなど、本当にたくさんのことをやってきました。あんまり忍者界にインパクトのある効果的な成果を出せたとはとても思えていないし、まだまだ理想の形からは程遠いので道は半ばなのですが、たぶん一朝一夕でできる事業ではなく、数十年単位の事業だと思っています。大事なのは続けることなのであまり焦らずに・・・とは思っているものの、この3年間「全国の忍者を盛り上げるぞー!」という想い一心で、いろんな手を尽くしてきて薄々感じていることがあります。

それは「忍者/NINJA」という括りで全国一律の施策を行うことは、ある面においては限界があるな、というものでした。

忍者と一言で言っても、みんながイメージする忍者というのは本当に様々で、それこそいろんな忍者の施設・観光地・サービス・商品があり、これらを全て同じように好きな人というのは皆無です。比較的忍者であればカバーする範囲が広めな自分でも、どうも自分には合わない忍者作品などもありますしね。もうみんなが同じ番組や本を見ている時代はとっくに終わっていて、人それぞれ趣味嗜好が細分化されています。なので、「忍者」という大カテゴリをもっと細分化して考えて提供していかないと、誰にも刺さらない時代なんだな、というのをヒシヒシと感じるのです。

ひとつの忍者ゆかりの地を見たときも、その地域を構成する歴史、風土、立地条件、交通アクセス、観光資源などは様々であり、「忍者」ってだけで外国人が寄ってくるほど甘いものではありません。そこにはその地域の特性を活かしつつ、かつ、家族とか高齢者とかカップルとか外国人とかの属性にマッチさせた特徴的な忍者のサービスなり、商品なり、史跡なりがあって、その掛け算が最大化したときに、初めてそれに価値を感じるお客さんがやってくるのだろうなぁと思うようになりました。もちろん忍者の認知度は高く、ポテンシャルはあるのだけれど、ただ「ほら、みんな好きな忍者だよー!」というのにはもはや限界が来ており、忍者と言う要素をさらに細分化してやっていかねばならないと強く感じています。

そのような課題意識から、だんだんと全国的な忍者のプラットフォームは重要だとは思いつつも、地域に根差した尖った活動の必要性を感じるようになりました。

忍者の里に移住した仲間の奮闘を目の当たりに

そんな中、自分の人生に影響を与えた2人の同年代の仲間がいます。

1人は同じ大学院の1期生で、大阪から伊賀の田舎に移住して民泊と忍術道場を運営しながら、忍者を活用した地域イノベーションの手法を研究している三橋さん。忍者忍術学コースの修士課程初の修了生で、物凄い数の海外メディアに取り上げられました。

修士1年の頃から課題を一緒に乗り切ったり、忍者学とは何かを議論したり、仕事で伊賀に行ったときは何度も家にも泊まりに行かせていただいていたのですが、伊賀の里で自給自足をしながら勉学にも励み、自分で事業も行いつつ、忍術修行と指導を行うというマルチプレイヤーっぷりに「あ、この人マジ忍者だわ」とリスペクト感がハンパありませんでした。

三橋さんの作る米、ほんと美味しいんですよ。。。集落の自然も豊かで、近くには伊賀忍者達の中世城郭もあって、こういう中で強く生きていくのにとても強い憧れを抱きました。

そしてもう1人は伊賀の京丸屋さんです。京丸屋さんは、伊賀に旅行に訪れた際に忍者のお土産の少なさに落胆し、「自分が伊賀のお土産を変える!」と、関東から伊賀に移住しました。まだ0歳のお子さんを連れて、すごい決心です。

その後いろんな軋轢もあったと思いますが、今では伊賀のいろんな忍者イベントのポスターとか、伊賀流忍者博物館のロゴとか、伊賀の街には京丸屋さんのデザインがありふれています。デザイン面で伊賀のブランド価値をすっごく押し上げてて、この3月にはリアル店舗もオープンするという勢い。僕個人としても商品が大好きで、新商品が出たらすかさず購入しています。

忍者ブランドの一等地・伊賀で大躍進しているこの2人が、「伊賀ならではリアルな忍者の体験・宿泊」という資源と「伊賀ならではのセンス溢れる忍者ブランド」という資源を確立していく様子を間近で見ていました。外から見た視点ですが、地元ネイティブの方の努力はもちろんのこと、移住者の行動力によって価値が高まっているように感じてなりません。

やっぱり中に入って他の地域には負けない、その地域独自の特性活かしたものを尖らせていくという活動は、絶対に忍者界を盛り上げていくために必要なことなんだ、と確信するようになりました。そして、自分も次第にこの2人のような地域に溶け込んで、その地域の魅力を磨いていく活動をしたいと思うようになりました。

No.2の甲賀が忍者界発展の要

じゃあ伊賀に移住すればいいのでは?という声も聞こえてきそうですが、それもすっごく考えました。いわゆる忍者の世界を感じたいと思ったときに、忍者界の中で今のところ一番の地域は、やはり伊賀だと思います。伊賀上野城を中心に、博物館やショー、城下町での宿やグッズ、飲食店だけでなく、忍者ゆかりの寺や史跡もあり、忍者の観光地としてある程度完成しているんですよね。フィクションの影響も手伝ってか、「忍者の地域といえば伊賀」というのは一般の方の間でもイメージが浸透していて、読売新聞の「忍び学でござる!」の連載でも書きましたが、検索キーワードでも「忍者+地名」の検索ワードでは、甲賀の2倍くらいのスコアで「伊賀」が一番検索されています。

僕の一番の関心ごとは、忍者界全体が盛り上がっていくことです。いろんな忍者の地域があって、プレイヤーがいて、作品があって、それに携わる人がみんな幸せになればいいな、と思っています。

では伊賀がこのまま突出していけば、忍者界全体は発展するのだろうか?というのを考えた時に、自分の中でひとつ持論がありました。それは、「ライバルが強ければ強いほど、その物語は盛り上がる」というものです。まさに資本主義社会の市場原理というやつ。

NARUTOだってサスケが弱っちい存在だったら、NARUTOも張り合いがなく成長もしないし、あそこまでヒットしなかったでしょう。ドラゴンボールにおける悟空に対するベジータ、スラムダンクにおける花道に対する流川、デスノートにおける夜神月に対するLなど、物語を盛り上げるのはいつだって強力なライバルとの鎬を削った競争が生まれているからなのです。

そう考えた時に、やっぱり一般的に伊賀のライバルであると認識されている甲賀が、もっともっと忍者の地域として強くなることが忍者界全体に波及するもっとも最良な打ち手であるという仮説に至りました。甲賀の今後の動向が、忍者界の未来を占うのではないかと思えて仕方ないのです。

その仮説を検証するために、いつか甲賀に移住して盛り上げていけたらな~なんて考えるようになりました。遡ってみたら、2年半前くらいに甲賀にいつか移住したろ!と思って、いい古民家がないか空家バンクなどをチェックしたり、二拠点生活を夢見ていました。


まぁこの頃にはそこまで本気というわけではなく、いつかいけたらな~くらいに思っていたのですが、2019年の甲賀流忍者検定のお手伝いに行ったときに、市役所の観光担当の人に「どっかいい古民家とかないですかね~」とか話していたんです。そのことが後に移住の後押しをするできごとを呼び込むとは思いもしませんでしたが・・・

甲賀忍者が住んだ家に住めるという奇跡

忘れもしない佐賀での手裏剣大会予選の翌日。その日は出張で手裏剣大会の予選の運営のために嬉野の肥前夢街道に行っていて、翌日は当時ハマっていたゾンビランド・サガの聖地巡りをしていました。夢街道の安蔵さんが案内してくれて、唐津城を散策していた時のことです。

海が見える城郭跡で物思いにふけっていたところ、甲賀市役所の方から電話がありました。出てみると、なんと「甲賀忍者の末裔の方が引っ越すことになり、その後は空き家になってしまうので、誰か忍者に造詣の深い若者でその家を活用してくれる人がいないか?」と市役所に相談があったそう。前に話していたのを思い出して、僕に興味があるか尋ねてくれたのです。

その家は20年ほど前に忍者の古文書が見つかった家で、忍者が住んでた家であることは紛れもなく明白な家です。尾張藩に仕えた甲賀忍者で、自分が好きな忍術書『用間加条伝目口義』で甲賀忍術を口伝していた忍者の仲間が住んでいた場所でした。

その後諸々の話し合いがありましたが、最終的には移住を決心して、その家をお借りすることになりました。だって忍者が住んでた家ですよ!築100年以上の古民家で古いことこの上ないのではありますが、綺麗に使っていらっしゃるし、もし幽霊とか出たとしてもその幽霊って忍者じゃないですか!こんなに最高なことはありません・・・!

諸々の調整が終わって合意できた日に思わずつぶやいてしまっていたのですが、それが去年の忍者の日だったというのも感慨深いものです。

本当は去年の夏頃から移住して活動する予定だったのですが、その後すぐにコロナ禍に突入してしまい、しばらく移住は見送りました。

その間に甲賀忍術研究会の副会長の方から地域おこし協力隊の制度を教えてもらい、「せっかく移住するのならそういう制度に乗っかった方が地域に溶け込みやすいかな」という考えもあって、市役所にお願いして今年度の募集をしてもらったというのが経緯です。

その後、応募書類の提出や面接などの適正な手続きを経て、晴れて甲賀市長からの委嘱を受け、甲賀市の地域おこし協力隊に任命されました。

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地域おこし協力隊の活動内容を今後noteで綴っていきます!

というわけで、今後3年間の任期で「甲賀市の忍者を盛り上げていく!」という活動をしていくのですが、活動内容を発信することも甲賀市の広報活動のうちの1つなので、今後のやったことや感じたことは週1くらいで書いていきたいと思います。長くなってしまったので、今後やろうと思っている活動内容についてはまた次回!

なお、現状所属している全国の忍者を盛り上げる団体の活動は、引き続きやっていきます。昼間は甲賀の活動、夜と休日は全国の忍者の活動をしていくというライフスタイルになりそうなので、相変わらず激務な生活が続きそうです。。まぁこれまでは仕事と学業で同じような生活はしていたので、大学院を修了して授業や課題、論文などはなくなったわけですから、なんとかなるかなぁと踏んでいます。全国の忍者に効く施策と、甲賀の忍者に効く施策を並行して検討・チャレンジしてくことで、相互にシナジーを生むこともできるかと思っています。どっちもやりがいがあるので、頑張っていきたいと思います!

ちなみに早速古民家にひとりで住んでいるのですが、夜はだだっ広い家に一人で静かすぎてめっちゃ寂しいです(笑) なんか窓の外から鹿の鳴き声も聞こえてきます。。もし関西方面に来る忍者の方などいらっしゃいましたら、遊びに来てください!あと今後も東京には月2日くらいは仕事で行く事になるので、飲みに行きましょう!

#地域おこし協力隊 #忍者 #甲賀

最後まで御読み頂き忝く存じ奉り候。 忍者のことしか書いてなくてすみませぬ。 更に忍者の詳しい情報はこちらでどうぞ〜 https://ninjack.jp