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和歌のリズムを解体してみる

はじめに

 長歌(ちょうか)のリズムは、五七・五七・五七・…・七。
 短歌のリズムは、五七五七七。
 片歌(かたうた)のリズムは、五七七。
 旋頭歌(せどうか)のリズムは、五七七五七七。
 仏足石歌体(ぶっそくせきかたい)のリズムは、五七五七七七。

 和歌と呼ばれるもののリズムでは、この五つが、文学史などの教科書の片隅に申し訳程度に記載されているのを目にしたことがあります。入試などには、あまり出てこない知識のせいでしょうか、知らない人も多いのでは?
 でも、念の為、覚え方も含めて簡単に説明します。というより、僕はこうやって覚えました。

 まず、和歌と言ったら、基本は「五七」です。
 それで、「五七」をリズムの単位として3回以上繰り返します。最後に結句として「七」を1つ加えれば「長歌」になります。ですから、その気になれば、かなり長い歌が作れます。

 次に、「五七」を2回繰り返して、結句「七」加えれば、「五七・五七・七」で短歌になります。続ければ「五七五七七」だからね。

 さらに「五七」を1回で止めて、結句「七」を加えれば、「五七・七」で片歌になります。これも続けて書けば「五七七」だから。

 どうですか?ここまで覚えやすいでしょう?こんなことは教科書には載っていません。自分で詩の勉強をしていて気づいたことです。数式で簡単に表しましょうか。Xが「五七」で、Yが「七」とすると、

 [長歌]=nX+Y ※ただしn≧3
 [短歌]=2X+Y
 [片歌]=X+Y

となるわけです。美しいですよね(笑)しかも、すべて4の倍数より1少ない文字数ですが、このことを証明せよ…なんて言う問題は出しませんので安心してください(笑)数学嫌いな人にちょっと意地悪をしてみました。


片歌、旋頭歌および仏足石歌体の歌

 旋頭歌を説明する時に、よく使われるのが片歌です。片歌はふつう問答形式で詠われていたと言われています。「五七七」の問いかけに対して、「五七七」と答えるように詠うので、片方だけでは不完全なものと言えます。しかも、2人以上いなければ、詠えない歌です。そこで、この片歌問答を一組にして1人で詠うものが旋頭歌と考えると理解しやすいです。頭句(五七七)と同じリズムを巡らすという意味で「旋頭歌」という名前になったと解説書には書かれています。通常は、前半後半が対句のように呼応している形が多いですが、紀貫之が古今集で自選した旋頭歌は短歌の表現とまったく変わらないやり方で、短歌のリズムの途中に「七」が入ったかのような詠い方になっています。要するに「五七・七・五七七」と捉えたわけです。また、旋頭歌の「五七七」のリズムについては、短歌や長歌の末尾三句から取られた「歌謡形」をもとにする歌体であるという学者さんもいます。いわゆる、最後の「…五七・七」の部分ですね。短歌だと「第三句・第四句・結句」のリズムということになりますが、これも成る程、頷けます。
 おまけで「仏足石歌体」ですが、これは完全に仏教系の鎮魂歌がもとになっています。薬師寺に仏足石と、これを賛える仏足石歌碑とが現存していて、この21首がもとになり名前が付けられました。短歌の「五七五七七」に、結句「七」を加えた形になっていると覚えてもよいのですが、最後の「七」はその前の第五句を言い換えたり、繰り返したり、対句的に詠ったりするので、他の和歌とは別格のものです。内容的にも、もともとは死者の魂を弔うような内容のものです。ただ歌体の形だけ見ていると「五七五七七・七」で、短歌になれた人には最後の「七」が間延びしたように感じると言うか、異様にさえ感じるかもしれません。でも、実は歌の幹の部分は六句のうちの第五句までで結句は意味的にも音韻的にも繰り返しのように詠まれているのを見れば、独特の雰囲気があって、それはそれで面白いなと僕は思います。ちなみに、この定型を使って詠われた歌の数は多くないものの、拾遺和歌集・千載和歌集・躬恒集には、なんと「旋頭歌」として載せられているものもあります。が、それらの歌の第五句と結句は対応した表現になっていません。興味のある方は原典を当たってみてください。

最後に

 いずれにしても、現在では「和歌」と言えば「短歌」を指すと言っていいくらいに、その他の形式のものは忘れられている存在です。そんな、詩的マイノリティの良さを見つけながら、なぜそれらが広がりや発展を見せないまま現在に至っているのかという点についても、僕なりに考えてみたいと思い、そのために実作をして試しているというのが本当のところです。自己満足と言えばそうなのかも知れませんが、ここまで自分でやってきて、旋頭歌や長歌が短歌や俳句に比べて、特に問題点や劣っている点などがあるとは全く思えません。むしろ、慣れてしまえば、短歌とは違った趣があり、文字数も多い分、あまり構えずに、ゆったりと詠める気がします。実を言うと、僕は短歌よりも旋頭歌のほうが今のところ実作数は多いです。最近では詠んでいる長歌の数も段々と短歌に追いついてきています。さすがに、仏足石歌体や片歌問答形式の歌は稀にしか作りませんけれども。「短歌」と「短歌以外の和歌」を比較すると、合計では、圧倒的に短歌のほうが少ないんです。これが多分、「歌人」と「歌人ではない僕のような人」との違いだと思います。こんな感じなので、当然「歌壇」からはどんどん遠ざかっていくし、自分でもそれがわかっていながらも別にいいかなと思っています(笑)のんびり、マイペースで楽しみながら続けていきたいですし、ノルマや期限があるわけでもないし、ましてや僕自身の限界もあるでしょうから、ネットで僕の記事を読んでいる方たちにとって何かの役に立てたらいいかなあと思ってやっています(笑)