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言霊の存在(スピンオフ)

言霊の存在の続きというか蛇足です

言霊ということを書いていて思い出し、確信したことを補足する記事として書きたく思います。


父が早くに亡くなった私は母子家庭で育ちました。
小学校のお習字の時間に、私の習字道具が黒であることを揶揄した男の子が居たんです。「父さんいないから」的なことを言われました。
今思えば「習字道具の色と父がいないことはイコールにならないのに何言ってるんだ?」て話なのですが、当時は習字道具が男子は黒、女子は赤がセオリーの時代だったので、その発言で今まで黒い習字道具に違和感を持ってなかった私はすごく衝撃を受けたわけです。
何かひどいこと言われた!と呆然としておりました。
その場で担任に叱られ謝罪を受けたのですが、とにかくその人に対して今まで感じたことのない、不愉快というかモヤモヤとした気持がずっと付き纏ってました。


それからしばらく経った頃。
彼の父親が急死したんですよね。
急にお父さんがいなくなって可哀想だな…と思ったその気持ちの後ろ側で
「あたしに酷いことを言ったから、バチが当たったんだな…」
って思いがチラッとよぎったです。
はっとして、「あたし、ものすごく性格悪いなぁ!そんなこと思うなんて、よくない!」と、すぐに打ち消したのですけれど。

それが一番最初の記憶にある、不快に対する反撃だと思います。

その出来事をきっかけにしたかどうかは定かではないですし、もしかしたらたまたまそういうタイミングだったかもしれませんが、自分に対して蔑ろな対応をしてきた人は後々

・警察に捕まる
・離婚
・病気…

とマイナスなことが起こる反面、
自分に対して好意的にしてくれた人は

・目標達成
・(事業などの)繁盛、発展…

など、その方のステータスが上昇していってるなぁと気づいたんです。

そもそも、他人に不快を与える行動をする人は「相手から奪う行動」をしてるわけですから、ご自分でご自分の気を下げる行動をしているのでよろしくない方へ運が向かって参りますし、逆に他の人に対して快を与えているので「相手へ与える行動」をしてるので良い方へ運が向かっているんですね。
ですからいずれそういう方向へ向かっていかれるのですけれど、他人の思いというものがそこに乗っかることで背中を押すように加速するのだと気づくのです。

たくさんの応援を受けてスターダムに上り詰めるアーティストのように
人からの応援というのは見えない力の最たるものかもしれない。

そう思うと、他人に対して丁寧に関わるということはぐるっと回って自分のことを丁寧に扱うということになるのではないでしょうか。

どうぞあなたを取り巻く人たち、環境に感謝をなさって
ご自愛されてお過ごしくださいませ。

@601xmqiq


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