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聞こえるのに聞き取れない、とは

いったいどういうことなのか?

実は私にもそういった瞬間がある。
聞いていて、言葉と認識しているのに、
その言葉がポロポロと落ちていく感覚というか。
聞こうとしても語尾しか聞こえないとか、
文章の合間が虫食いになっているように聞こえるとか、
いつもではないけれど、
たまにそういうことがある。
自分の中では、
聞こえなかったのはきっと体調が悪いんだろう、とか
集中してなかったんっだろう、とか
なにか理由をつけて納得させていた。

息子から学校の様子を聞いて
「先生が何言ってるかわからない」
「何言ってるか聞けても理解できない」
「聞こうとしてたらむちゃくちゃ疲れる」と話してくれた時に
「もしかして?」とピンときた。

調べてみたらLiD/APD(聴覚情報処理障害)と目にし
これだ!と思った。

Lid/APDの大人は、
こどものころ「話を聞いてない子」「天然の子」
と言われることがあるらしい。
まさにそう。よく言われた。
こどものときはそれでも良い。
むかしは「そういう子」と思われてキャラ付けされていた。
社会に出るとそうはいかない。
聞き間違いは絶対悪だ。
「前も言ったよね?」「わかってるの?」「空気読めない」
大人になってからのそれはキツイ。
私は自分を分析する癖があったのでなんでそうなるのか、
どうしたらできない部分を補えるのか考え、
結果メモをするということにおさまった。
思い返せば20代からなんでもメモしていた。
メモして用済みになったことも後から確認されるので
用済みになって斜線を引いているページも残すようになった。

学生の頃を思い返してみると教科書を前もって読んだりしていたからか
あまり困った記憶がない。
ひとり(先生)が喋る分には困っていなかったのかもしれない。
友達が3人ぐらい集まって話すとなるともう話せなくなって聞き手に回る。

こうして書き起こしてみると、
果たして私はLiD/APDなのか、疑問だ。

息子のように
授業で「聞き取れない」と困ることはなかった。

息子と、博物館などのワークショップに出かけても
聞き取れてなさそうだと感じることはほぼない。
「あ、今聞いてないな」という瞬間はある。
無意識に声かけをして、それた気を誘導しているのかもしれない。

そう考えると、
ひとクラス15名の中で
いろいろな視覚的誘惑がある中で
「先生が何言ってるかわからない」のもうなずける。
「聞こうとしたらむちゃくちゃ疲れてしまう」のも納得だ。

ではどうすればいいのだろう。

教科書の文字を目で追うのも
今の息子には苦痛である。
私の思考は止まってしまった。

明日キネシオロジーを取り入れている
放課後デイサービスに見学に行ってみる。
キネシオロジーは、
それを習っている人の実験台になっただけだが
LiD/APDに効果があるのではないかと
ぼんやりとした期待をしている。

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