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消さないで.m4a


日中の暑さが和らいで、辺りは薄暗くなっていた。
玄関は靴でいっぱいだった。

大好きな場所にいるはずなのに、
なんだか落ち着かなくて。
賑やかな声から逃げるように、私は外に出た。



私は多分どちらかと言えば愉快だ。
それは間違いなく母からの遺伝で。
そんな母の愉快さは、間違いなく祖母からのものだった。
私が物心ついた頃から透析していた祖母。
決して体は強くなかった。
腕にはいつも透析の痕跡があった。
薬も欠かさず飲んでいた。
それでも私よりもパワフルで、働き者で、
笑い声の絶えない人だった。


今でも鮮明に覚えている祖母の笑い声。
最後に聴いたのはいつだっただろうか。
小学二年生の頃から、毎年夏休みは会いに行っていた。
空港の到着口で、手を振っている姿が
今でも脳裏に焼き付いている。
高校三年の夏、大学受験を控えた私は会いに行かなかった。
卒業したら会える思っていたが、コロナが流行し始めた。
そして私は浪人生になった。
コロナの勢いは強まる一方だった。
落ち着いたら会いに行こう。落ち着いたら会いに行こう。
大学に入学してからも、体の弱い祖母に会うには
まだ状況が良くなかった。
祖母は入退院を繰り返すようになった。
時々電話をくれていた祖母。

タイミングがなかなか合わず、
私が聴くのは留守番電話に残った
祖母からのメッセージだった。
出れるのに、意図的に出なかったことも正直ある。

私が祖母と最後に〝会話〟をしたのはいつだろうか。
毎年会うのが当たり前だった祖母と顔を合わせない夏。
私にとって、そんな状況が当たり前になり始めた。
慣れてしまった。


祖母が亡くなったのはそんな時だった。



病院の一角。テーブルと椅子が四つ。タブレット越し。

表情を変えないよう、力を入れることで精一杯だった。
荒い画質でよく見えないはずなのに、
微かな意識の中でこちらを見る祖母がやけに鮮明に見えた。

大学のカフェテリアで手に取った祖父からの電話。
急いで家族に連絡をいれ、学校を飛び出した。
母とタクシーに乗り、羽田空港に向かっている時のことを覚えている。
何を考えればいいのか、どんな顔をすればいいのか。
母になんと声を掛ければいいのか。
笑顔を見せていいのか。
分からなくて、ずっと窓の外を見ていた。


「もう最後かもしれない」という面会を何回しただろうか。
すぐそこにいるはずの祖母。
小さい液晶に向かって話しかける母や叔母。

愉快で、楽しくて、笑顔で、元気に喋っている。
そんな祖母の姿しか知らない私は、ただ手を振ることしかできなかった。
病院の一角で小さく。ほんの数分の面会。
そんな時間を何日か過ごした。


大好きな祖母の自宅にいる安心感と違和感。
次から次に入ってくる人たち。
礼をする祖父や母。叔父や叔母。
思い出話や最近のこと。あれやこれや。
静かに眠る祖母を囲い、広がった。


たくさんの靴に紛れる自分の物を、指先で引き寄せる私。
日中の暑さが和らいで、辺りは薄暗くなっていた。

あの頃の夏に帰ってきたようだった。


携帯に残っていた留守番電話。
携帯会社を変えた時に全部消えた。
どんなに探しても無かった。調べても戻せなかった。
私の名前を呼んでいる祖母の声は無かった。



今年もまた暑い季節が近づいてきた。
梅雨なのか夏なのかも曖昧な。そんな季節。
パソコンの容量が限界に近かった。
いらないフォルダを消していた。課題で使った素材たち。
映像や写真、音声。その時ふと一つのデータを見つけた。


「ばあちゃん.m4a」

慌ててイヤホンを繋いだ。22秒の留守番電話。

「学校生活はどうですか」

「まだばあちゃん病院におるから、また後で電話するね」


祖母はとても愉快な人だった。
私に夏の楽しさを教えてくれた人だった。
お気に入りのスカートを
容赦なく否定してきたこともあったけど。

とにかく笑い声の絶えない人だった。

そんな祖母の3回忌。
元気に笑っていますか。

もう少しで、ばあちゃんのいない夏をまた迎えます。

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