モデルを辞めた 4

モデルを辞めた 3 から続く

まず、留学からの計画は以下の通りだった。9月の4週目から6週間、セブの語学学校に滞在する。そのあと、事務所を探すために1週間ミラノに滞在し、マルタへと向かう。マルタで6週間語学学校に滞在したあとに、ミラノでの事務所が決まっていればミラノへと戻るし、そうでなければそのまま年末には帰国。1月の予定は11月2週目のミラノでの事務所探し次第で大きく変わるというものだった。

まず、フィリピン留学に関して、一言で表せないぐらい充実して楽しい日々だった。本当に去年1年間は簡単には経験できない夢のような時間ばかりで、快く送り出してくれた、支援してくれた家族には頭が上がらないばかりだ。今回はピースボートでの反省を生かして、徹底して筋トレと食事管理に取り組んだ。毎朝5時半とかに起きて屋外ジムにいき、筋トレをして、少しプールにも入ってから朝食を食べ、夜まで授業を受けて、少し友達と話して22時とかには布団に入るみたいな生活をしていた。やればできるやん、自分。週末は全然遊んでいたりしたものの筋トレはちゃんとやっていて、毎日ベンチプレスしていた、おかしい。なんやかんやであっという間に最高に楽しかった日々が過ぎて、たくさんの友人に見送られてミラノへと旅だった。

若干の緊張とわくわくとで約48時間のフライトを終え、ミラノへと到着。ホステルへとチェックインして、翌日からの事務所巡りへと備えた。アポイントがとれていたのはたった二つ。ここで決まるとも限らないため、挙げられるだけたくさんの事務所を列挙し、全てピンポンする計画を立てた。6日間の滞在のうち基本的には平日しか事務所は空いていないため、約4日間で30近い事務所を全て巡る予定だった。
一つ目のピンポンにかなり緊張したのを覚えている。イタリア語なんて喋れるわけもないので、「チャオ」だけイタリア語で言ってから、英語で「自分は日本から来たモデルで事務所に所属してもらいたいので見てもらえませんか?」と玄関口から話す。そこからいいよと通してくれるところもあるし、ノーアポは受け入れてないというところもあった。雑感として半分はダメで、半分は中に入れてもらえるぐらい、その中で2,3個は身長まで測ってくれたりするが、それ以外のとこはまた後日連絡してと突き返されることが多かった。結局丸二日まわって手応えはほぼゼロ、残された事務所もほとんどないし、アポイントがあったところも好ましい結果は望まれなかった。どうしようと焦りながらホステルに戻って、もう一度事務所が他にないかリストアップし、新しい事務所リストを翌日はあたった。
事務所巡り三日目の木曜日、やはり突き返されることが続いた中で前日の夜に見つけたmajorという事務所にピンポンを押した。びっくりするぐらいすぐ契約できると言われた。ただ条件付きで、翌日金曜日の昼までに了承したらとのことだった。そのとき他の事務所に手応えはほとんどないものの一つ二つもしかしたらというところがあった。そこで、その場では一旦答えを持ち帰り、すぐ東京の社長とマネージャーに連絡した。色々とラインのやり取りもあったが、手応えが少しだけあり可能性として残していたnologoという事務所に午前中に結果を聞きに行って、ダメであればmajorへと向かってすぐにサインをするということにした。
翌日の朝一で、nologoへと向かった。メールで結果の催促はしていたものの、2.3日前にピンポンしたところにもう一度ノーアポで凸るのは少し緊張したものの、ドアを開けて結果を聞いてみた。答えはyesでもnoでもなく、ちょっと待てということだった。採用かどうかを判断するボスが今はミラノにいなくて早くても翌週以降に答えが出るとのことだった。Thank youと言って事務所を立ち去り、すぐにmajorへと向かって所属させて欲しいと伝えた。マネージャーは大袈裟なぐらいに歓迎してくれて、午後写真を撮るために帰ってこいと言われた。(けどやっぱりこなくていいとか言われたと思って結局行かなくていいと勘違いしていたら結局行かなきゃいけなかったっぽくて、その日の午後にすぐもう一度呼び出されて恥をかいたがエピソードとしては嫌いじゃない。英語力の問題です。)

嬉しい気持ちで事務所と家族に報告して、ホステルの同部屋だったメキシコ人の女の子にも報告した。ホステルについた日から仲良くしてくれて、彼女もファッション系の仕事をミラノで探すために3週間ほど滞在していたらしい。おめでとうと言ってくれて嬉しかったしホッとした。最低限恥ずかしくない、挑戦する権利を得られたと思った。

そこから残り2日はちょっとだけ観光したりして、マルタへと飛び立った。6週間後、年明けに帰ってこいとのことで、太るなよーと念を押された。

次編へ続く

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