モデルを辞めた 3

モデルを辞めた 2 から続く

さて、世界一周は本当に楽しかった。ピースボートに乗船して世界を回ったわけだが、この話はここでするとキリがないのでまた気が向いた時に書きたいと思う。間違いなく一生忘れない日々だったし、人生の転機はここにあったと振り返れるような時間だったとだけ言っておきたい。

この中でモデルに関する話をすると、筋トレと食事は意識していた。最初だけ。だんだんと両者共に意識が疎かになっていき、明らかにプロフェッショナルではない態度だったと思う。ただ、そん中でもパリに5月半ばに一人で行った時にこの土地にモデルとして帰って来たいと思った。街の激安古着屋にいた明らかにモデル体型の女性に話しかけたら案の定モデルで、いつか必ずモデルとして戻ってきたいと話した。インスタを聞いてバイバイしてから知ったが、ヴィトンのキャンペーンやってるようなスーパーモデルだった。パリはそうゆう街なのだと思った。そこから社長にウォーキング動画を送ったりした。実は、世界一周から帰ってきた後に留学に行ったあとにミラノに挑戦しようという話をしていた。当時どこまで決まっていたのかは覚えていないが、それもあって体型維持とウォーキングの練習はしっかりとやりなさいという話だったため、何度か船の上から動画は送ったりしていた。少し太ってきたのが目に見えていたため意識するように言われた。

そして、気持ちとしては、モデルとしての自分から逃げないよう決意した。船の上での時間はめちゃくちゃに長い。いろんな人と話すし、夢についても話す。自分のことを知る。何も決めていない状態で逃げていた状態で船に乗ったが、挑戦している人たちと話していくことで、自分も挑戦すること、まずは海外に挑戦することを強く決意した。
そもそも、ミラノへと挑戦することとなった理由は、日本で結果が出ない一方で海外のクライアントとなら相性がいいのでは、と社長に言われたからだった。特にミラノは相性が良さそうだし、そこで仕事が取れれば日本でも仕事を取りやすくなるよということだった。こんな周りからのおすすめという理由だけで、海外に挑戦しようとしていたわけだが、自分の意志としても挑戦の機会だと思い、船を降りたら全力で頑張ろうと頑なに決意した。この時が最もと言っていいほどパッションがあったと思う。

7/23に船を降りて、すぐ2日後に事務所に行った。実は6kgも太っていた。そしてすごく失望させてしまった、社長たちを。海外へとか大きなことを言っているくせに何も努力できていない、当然の指摘。何も言えなかった。そして、次に海外へといくのは9/23。たった2ヶ月しかない中で資料作りをしなければならないのに人には見せられない、モデルとしてあり得ない身体だった。
悔しいと思う気持ちもあったが、船の上での残り数週間はその日々に完全にフォーカスしていた自覚もあり、後悔はなかった。ただやるだけだと思った。そこからまた1ヶ月で6kg落とした。なぜできたのかわからない。もう絶対にできない。筋トレも毎日1時間ぐらいやってこの時は打ち込んでいたと思う。また、ウォーキングの動画やポージングもたくさん真似して鏡の前で練習したり、自分に合うブランドを研究したりしていた。イベントやショーの観覧にもなるべく参加して、自分を売り込むよう努力した。作品どりもいくつか取り組んで、事務所のお世話になっていたフォトグラファーの方に撮っていただいたりして、満足いく資料も作ることができた。残念ながらキャスティングは既に終わってしまっていることも多く、オーディション自体もそこまで多くなくて仕事も取れなかったけれども、焦る気持ちはある一方で確実に進んでいるという実感があった。
そして、その時期に髪を切った。これは結構でかい。海外ファッションウィークのトレンドとして長髪があまり使われていなくて、顔の系統的にも短髪の方がいいんじゃないかということで31cm髪を切った。ヘアドネーションのためと言って持ち帰った髪はまだ家にある。怠惰でしかない。
このイメージチェンジはマネージャーや社長からも良く言っていただけて、i-d Japanのスナップに載っけてもらったりもした。そんな充実した2ヶ月の日本滞在を経て再び今度は留学へと出発した。この時は留学への期待と海外挑戦への期待をダブルに重ねて、セブへと飛行機へ乗り込んだ。

次編へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?