モデルを辞めた 6

モデルを辞めた 5 から続く

1月末に帰国した。次のミラノは絶対に歩くという意志を待って、まずは目の前の3月の楽天ファッションウィークに向けて頑張ろうという気概だった。海外から帰ってきたばかりということもあってパッションに満ち溢れた中で展示会やイベントに出せるだけ顔を出した。積極的にデザイナーの方にも声をかけたりして、営業を繰り返したのが2月。

そしてこの時に初めて仕事をすることができた。実はミラノ滞在中にshota hiyamaというブランドのデザイナーのshotaさんから直接連絡をいただいて、仕事を得ることができた。shotaさんとは夏の展示会周りをしていた時期に、作品どりしてもらったcocoさんというフォトグラファーの方に繋いでもらった人で、夏の営業が身を結んだなどミラノの洗面所で嬉しがったのをとても覚えている。撮影は同じ事務所のmeiちゃんとで、天候にも恵まれて本当に楽しかった。し、今後ももっと仕事をとっていきたいとすごく思ったというのが2月中ば。

そこから将来のことを考え出すようになった。ここからは具体的にいつ何を考えていたのかは、明確にはわからない。思い出せない。けど、だんだんとでも確実に考えが変わっていったことはわかる。

きっかけとしては、まず一歩踏み出してみようということで就活をしてみようと思ったことだった。忌避していても仕方ないし、そこを通じて得られるものもあるだろうと思って。そして就活というのは怖いもので、どんどんと引きずり込まれていく。一度足を踏み入れたら逃げられないような気がしてしまう。片足だけ突っ込んだつもりが、気づいたらすきすきだった予定を潰していくかのようにセミナーを受講し始めて説明会に顔を出し始めた。将来のことをより深く考え始めた。

それでモデルという職業について考え始めた。個人の考えだが、モデルはプレイヤーであると思う。求められたものをする、プレイヤー。そして、その働き方やこの業界の働き方まで含めて自分は本気で向き合えないと思った。打ち込めていないと思った。大学を卒業してからもこの働き方をすることはないと考えた。やれること、やった方がいいことはたくさんあるし、なんとなくはわかるようになってきた。でも、近い将来辞めるだろうと思っていることに対して頑張れない、頑張ろうとしていない自分を強く感じた。

そしてこれがこの2年半ずっとあったものだったんだと。いろんな友人から頑張ってね、応援してる、という言葉をいただいて本当に嬉しかった。ほとんど話したことない高校の同級生からモデル頑張ってね、と言われた時のこととか今でも鮮明に思い出せてしまう。
でも期待に応えられていない自分が恥ずかしいし、期待されたくないとすら思っていた気もする。業界の人に会って、まだ若いね、新人だね、と言ってもらっても大学卒業してからもこの職業をしている自分を描けたことがほとんどなかったから時間なんて全然ないと思っていた。焦りに焦っていた。大成するまではたくさん努力して、バイトもたくさんして、それでも夢のために目標のために死ぬ気で頑張れよってそうやって自分に対して思えなかった。逃げていたんだと思う、ずっと。今も。

この働き方が合わないって言っていたのだって、逃げたってことを口先で言い換えただけだ。実際あれから就活していく中で、視座を高くとかリーダーをとか事業家になるとか思ってたけど、言っていたけど、そんなに頑張れてないもん自分。全然弱い、逃げてる。本当に弱い。

そうしてだんだんと3月半ばくらいから就活に本腰を入れるようになり、モデルとしてのリミットを考えるようになった。思った以上にすぐに答えは出た気がする、自分の中で。

それが6月のミラノファッションウィークに挑戦して、辞めるということだった。新しい事務所に所属することもできて、最後に挑戦して仕事をとって帰りたい。とそう思っていた。

けどそれもしなかった。最後の挑戦のためにすら努力できていなかった。学校がとか就活がとか言い訳に言い訳を重ねて、できない理由ばっか探してできていない自分を客観視して、ほんとにミラノ行くのかなとか思ったりして。そんな状態で行けるわけないよなって冷静になって、努力してない状態で行っても仕方ないって思って、熱もだんだんと冷めてしまって、他のことに興味が出てきたとか言って、そんで辞めた。行くことを。

5月初旬とかだったと思う。そう決断したのは。そしてその少し前に、ミラノから帰ってきたら事務所を辞めようと思います、と社長に伝えた。今こうやって書いていると実感するが、唐突過ぎたなと思う。最後に挑戦するならするで後悔ないよう頑張ってきな、と言ってくれていたもののそれすらやらなかった。

それで決断してからすぐ事務所に電話をして、退所の意志も同時に伝えた。そこから少し時間が経って、今日6月21日に最後挨拶に伺った。最後の最後まで、中途半端だったなーと心から思う。情けないばかりだ。本当にやりたいことを見つけてからの慎之介が楽しみだよ、ずっと応援してるよ、と言ってくださるような素敵な大人に囲まれることができて自分がいかに環境に恵まれているかを再認識するとともに、何も恩返しすることができずに逃げてしまったということを今の今、実感している。2年半所属していたうち、活動していたのは一年と少し、獲った仕事は一つだけ。成績表だとどんな数字がつくんだろう、先生からは何とコメントされるんだろう。結果だけじゃなく、そのプロセスでも誇れるものってほんとにあったのかなと。

モデルを辞めるという決断がどうだったのかは、わからない。これを正解にしていくと言えるほど、まだ自分には何もない。普段から大きくでがちだけれど、ここでは正直な気持ちだけ書きたい。漠然とした不安に囲まれている気がするし、自分に自信はずっとない。それを隠すかのように自分を大きく見せようとして、ステータスに憧れ、きつそうだったら逃げる、そんな人間なんだと思っている。

ここからどんなものを学んだ、とか大層なことは言えないし、まだわからない気もする。だし、まだ書けない。
とにかく綺麗な事を言うことは比較的得意だと思うから、それを書きたくなったり、そう思える時がきたら(きっとすぐくる)、またゆっくりと学びを書いて、書き連ねていきたい。

今回もまとまりのなく、自分を語る文章を約13000字も書いた。これを読んでくれた人が何人いるのかはわからないけれども、もし読んでくれた人がいたならば、ぜひ話したい。1人じゃ何もできないから助けてほしい、自分を整理することに寄り添ってほしい。とても傲慢極まりない言葉だが、自分勝手に生きることが取り柄だろう、私は。周りの人に恵まれていることと合わせて、才能だと自信をもって言える数少ないことのうちの1つだ。

と、自分自身の、特にネガティブな話ばかりしてしまったが最後に、本当にお世話になった方々に心から、心の底から感謝申し上げたい。列挙するのも気が引けるので、名前をあげることはできないししないのだけれども、本当の本当に大好きで尊敬するたくさんの大人に出会えたこの2年半は言葉に表せない時間だったと思う。綺麗事じゃなく、人生のハイライトに間違いなく写ってくるような経験はできたんじゃないかな。これからは違う関係性へと変わっていくかもしれないけれど、またどこかできっとお会いすると思います。その際は何卒よろしくお願いします。

また、心を整理して、少し時間を置いてから振り返りたいと思います。

2024/6/21

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