モデルを辞めた 5

モデルを辞めた 4 から続く

マルタでの生活も本当に楽しかった。自分はやっぱり環境に恵まれていると思うし、運を持っているんだと思う。たくさんの友達ができたし、旅行にも行った。

モデルとしては、1月でのミラノの挑戦のために体型維持とウォーキングとポージングの練習は欠かさないよう意識した。同部屋の子が授業に行っている時に部屋でこっそり練習したり、2ヶ月分のジムを契約して朝4時に筋トレ行ったり(4時に行ったのは一度だけ、9時からの授業前には結構行っていたから6時起きとかでよく行ってた)していた。食事は人生初めての自炊で、びっくりするぐらい何もできなかったことは前のnoteでも書いたけど、パスタを毎日食べて、全然太らなかった。

ここでの日々もあっというまに過ぎて、学校を卒業してからも1週間マルタには滞在して、そこから1月1日のフライトでミラノへと戻った。元旦のフライトは人生であまりない気がするし、あの日は能登で震災があって、すごく忘れられない日になってしまったなと思う。

ミラノではマルタ滞在中にオンライン上で契約したアパートに住んでいた。4人のシェアハウスで、自分の部屋だけ2人部屋でモザンビーク出身のyashという最高の友達に出会えた。彼はポルトガルの大学院に通っていたが、エラスムスというヨーロッパ圏内の交換留学制度でミラノの大学院に来ている学生で、モデルの自分を心から応援してくれた。

話を戻すと、1月1日にミラノに戻ってきてから翌日にすぐ事務所に行った。bookと呼ばれるモデルの名刺のようなもの(コンポジが名刺か?じゃあbookはなんだろう)をもらって明日以降オーディションに行ってね、と言われた。だいたい前日の夜には連絡するからそれを待って何も連絡がなければその日はオフという形だよ、と教えてもらった。ミラノに挑戦した主な理由であるミラノファッションウィークは2週間後であったため忙しくなる日々を期待していた。

ただ実際にはそんなことはなかった。せいぜい2日に1回とかのキャスティングで、ファッションウィークに関するキャスティングは3.4個しかいけなかったと思う。有名どころだとアルマーニに呼んでもらえたことは嬉しかったけど、あまりに来ている人も多かったしウォーキングも一瞬で終わってしまってダメだったなとすぐ確信した。一つだけ感触が良かったウォーキングをできたアジア系のブランドもダメで、あっという間にキャスティングの時期が終わった。あっさり、何もなかったかのように時が過ぎていた。気づいたら始まってしまったファッションウィーク期間中、何をするのも情けなかった。が、家にこもっていても仕方がないし、スナップとられがてらメゾンブランドの会場でもいくかと思い、gucciやドルガバの会場近くへと足を運んだ。どこかにも書いたかもしれないが、パパラッチが本当にすごい。びっくりするような人数のパパラッチャーがいて、ちなみにだいたいアジア人だった。運良くいくつかスナップも撮ってもらうことができて、ミラノのショーに招待されていた東京の事務所の社長カップルにも会うことができた。数日後に、社長も含めて数人で韓国料理屋さんに連れて行ってもらった。久しぶりの外食でパスタ以外のものをほぼ食べていなかったので本当に美味しかったし、みなさんが落ち込むことはないよ、楽しんできな、と声をかけてくださり、とても救われたしより一層頑張ろうと思った。

そこから新しい事務所を残り数日で決めた。nologoだ。majorではお世話になったものの、正直目標としていたようなブランドのオーディションやキャスティングはもらえることがなかった。そこで社長とも話してもう一度事務所を探すことにした。もう一度ポラ写真を撮って、事務所に送りつけ、返事が来たnologoにすぐ向かって、ギリギリのところでサインすることができた。次回のミラノ、6月に戻ってきますと伝えて、帰る準備を始めた。新たな希望とともに。

そうしてあっという間に過ぎてしまった1ヶ月間のミラノ滞在を終えて、約4ヶ月ぶりの日本へと帰路へついた。この1ヶ月間はしんどいというよりも、挑戦している楽しさがあった。オーディションも日本にいる時より緊張しないし、待っている間に世界中からくるモデルと話したりして楽しかった。そんなにたくさんオーディションに行けたわけじゃないから、インスタ交換したりした人も多くはないけど、そのうちの一人のドミニカ共和国出身の一個下のモデルの子が一昨日ビトンのショーを歩いていて、すごい世界線だったなと改めて思った。たしかに孤独はあったし期待に応えられなかった悔しさも当然あったけれど、今振り返るとそこまでしんどかった記憶は残っていないのは過去を美化してしまっているからだろうか。わからない、けど今はそう思っている。

そうして1月末、たしか29日、いや上海でトランジットに遅れが出て1日遅れたから30日に日本に着いた。

次編に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?