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貧困問題と非認知能力(そして、ジャグリング)

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。

ジャグリングを通して子どもたちと触れ合う機会が度々あり、その都度教育について考えさせられます。
今回は、貧困問題に端を発して思ったことを、教育の面でジャグリングでできることは、と思い書いてみます。

お付き合いいただけたら幸いです。

ことの起こり:Table for Kids

先日
”子どもや若者がつながり、学び合い、成長していくためのコミュニティづくりを行っている非営利活動法人”「夢職人
の理事長である岩切準さんとお話をする機会がありました。

「夢職人」が現在取り組んでいる「Table for Kids」という活動があります。経済的な困難を抱えている親子に、食を提供する活動です。(リンク先をみて賛同いただけたらご支援をお願い致します。)

岩切さんとお話しをしていて、経済的に困っている家庭の数が想像以上の多いこと、そして、コロナウイルスで加速しているであろうことがずしんと迫ってきました。

「貧困」...コロナウイルスの蔓延が続くこの一年、困窮を訴える声は、日に日に大きくなっているように感じます。この先、避けて通れない問題...向き合わなければならないであろう問題であり、みんなで一緒に考えたい問題です。

食や収入の問題は今すぐに取り組むべき問題ですが、
困窮するひと・家庭が増える中で、長い目でみて、ジャグリングを活かした取り組み、ジャグリングとしてできることはないでしょうか。

子どもたちがどうやって生きる力を得てゆくか、教育の分野について言えば、今までの経験から感じるに、ジャグリングは役に立てるのではないか。即効性がなくても、この先を生きて行くために大きな力になり得るのではないか。
そう思うのです。

海外では、「ソーシャルサーカス」と言い、サーカス技術を教えることで生きて行く力を伝える活動もあります。サーカスの技術を通して、稼ぐ術を身につけてゆく。サーカスの技術は数多くありますが、その中でも、ジャグリングは安全に、気軽にはじめることができるため、最初の一歩として適しています。
ジャグリングは技術そのものが、直接芸能として価値を産むことがある、ということもありますが、それだけのことを言っているのではありません。
(もちろん、日本においてもジャグリングの技術を極めるのは、世界を舞台に活躍したり、あるいは、仕事として生計を立てる手段の手段の一つです。そういうひとがどんどん現れているのが今です。)

幼い時の体験として、非認知能力を高め、学ぶ力を身につける。それは、様々な可能性が開かれている子どもの時に大切なことです。

ジャグリングはそんな可能性を助ける力を持っています。

非認知能力を育み、格差に挑む

「私たちは子どもに何ができるのか-非認知能力を育み、格差に挑む」(ポール・タフ 英治出版)によると、非認知能力を育てることで貧困から抜け出せる可能性が高まることがわかります。

非認知能力とはなんでしょうか。

「私たちは子どもに何ができるか」には
”やり抜く力(グリット)、好奇心、自制心、楽観的なものの見方、誠実さといった気質は、「非認知能力」と表現されることが多い”
とあります。

従来の科目された学力など、テストで数値化しやすい能力とは別の観点からみた能力のことですね。

日々の出来事について、困難に向き合いやり抜く---好奇心を持って臨み、他の欲求に流されず、困難があっても「できる」という気持ちを保ち、真っ直ぐに取り組む---そんな力...何かに集中するとそんな状態になりますよね。
集中して何かを身につけた経験が、生きてゆく上での大きな力になることは納得感のあることではないでしょうか。

非認知能力を育むのに大切なこと

では、非認知能力を育むために大切なことは何かと言えば、
・環境
・内発的動機
・「失敗」の捉え方
が、ぼくは印象に残りました。

環境はとても大切ですが、ここでの話には余るので、今回は置いておきます。

例えば
「できるまでやれ!」
みたいな言葉を上から目線でかけても、言われた方からすれば積極的にやりたいとは思えないですよね。むしろ、拷問に近い。
また、できない度に怒声を浴びさせられたり、責められたりすれば、どんどん萎縮する一方で、その中で継続的な成果を出すのは非常に難しい...というよりも修行の域です。

積極的にやりたいと思う、魅力があるか。
「失敗」を結果としてではなく、過程としてポジティブに捉えられる心をつくれるか。

この二つは、非認知能力が育つ上で、とても大切な要素です。

ジャグリングを通して出会った非認知能力が芽生える瞬間

ジャグリングを通して子どもと接していた時---
レッスンではなく、公園で練習をしていた時の話をお伝えします。

その時は、ボールジャグリングを練習していました。
そこへ、じーっと未就学児、4歳か5歳くらいでしょうか、が練習を眺め始めました。
やがて、落としたボールを拾ってくれるようになります。

それが重なるうちに、だんだんと拾った時に自分でもちょっと投げてみるようになる。

「やってみる?」
と聞くと、
「うん!」

簡単な動作を教えると、それを真似して投げます。
うまくなってくると、ちょっと自分で工夫をしだして、違う投げ方をはじめる。

気付くと、夢中になってそれを繰り返しています。

その子とは、それっきりになってしまいましたが、ジャグリングを通して交流ができた、ぼくの心をあたためてくれた時間であり、夢中になると、ひたすら繰り返して楽しむのだな、というのが印象的でした。

今のは、偶然の出会いでしたが、企画したジャグリング教室を通してもたくさんの子どもたちに出会ってきました。

最初は、よく分からずに、デモンストレーションや説明を聞いてジャグリングを始めるのですが---

自分で道具を持ち、練習をして行くうちに、様子が変わる子がいます。

みるみる真剣になる。
ジャグリングの練習は、ほぼ「失敗」です。できるようになっても、練習のほとんどは「失敗」です。だから、ぱっとみた感じ、不機嫌そうな顔をする子も多いです。中には、終始ニコニコ練習する子もいますが。
...で、不機嫌そうだから、つまらないのかなぁ、と思うとそうではなく、練習していた技が一度成功した時の笑顔---喜びを爆発させる子もいれば、嬉しくなさそうに装いつつ笑顔が漏れて子もいる---は教えている側をも幸せな気持ちにしてくれます。
最初は教えるのですが、一度ちょっとした手応えを感じると自分で考え出します。「失敗」から学び出す。そして、分からなければ、ひとに聞く積極さも発揮し出す。そこからの子どもの集中力はすごい!と毎度感心しつつ、あまりの純度の高さに嫉妬してしまうくらいです。

実際、そのようにして出会った子どもたちの何人かは、ジャグリングを続けて、素晴らしいジャグラー・パフォーマーになっています。

ジャグリングは、端的に言えば遊びなのです。遊びだから良い。夢中になれる。そして、きちんと難しく、きちんと達成感がある。遊びだから、「失敗」ではなく、純粋なやりたいことになる。
ジャグリングの良いところの一つは、そんな風にして小さな成功体験を積めることです。

ジャグリングを通して可能性を楽しさとともに、可能性を提示して行きたい

直近の貧困問題からはじまった話ですが、長い目でみた時に、「私たちは子どもに何ができるか」で書かれているように非認知能力を育てることは、とても大切なことです。
それが粘り強く人生という現場に立ち向かう力となる。

ジャグリングは、そんな力を育む可能性を持ったものです。

もちろん、非認知能力を高めるような活動は、スポーツをはじめとして、いくつもあるでしょう。ただ、スポーツや団体行動に馴染まない子どももいます。様々な特性を持った子どもがいる中で、ジャグリングが合う子どもも確かにいて、そんな子にきちんとジャグリングを届けられたら。
そして、ジャグリングが、本人がそれと意識しなくても、生きて行く時の助けになったら。

何より、ボール三つ(ボールでなくても、同じような大きさの物が三つでも)あれば、始められるのがジャグリングの良いところ。
ジャグリングが気軽になり、そして、自信を持つきっかけになってゆくと良いな、と思います。

そして、そんな活動をして行きたい...して行きます。


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