習慣化する 自分の興味と共に歩く
ジャグリング教室のブログへいただいた反応から、習慣化することについて考え、ジャグリング(自分の興味)との付き合い方についてを書いてみました。
ジャグリングの楽しみ方
ジャグリング…あんなことができるようになりたい!
…ジャグリングに取り組にはじめるひとのほとんどは、そんなことを思ってジャグリングを始めることが多いかと思います。実際に、20年近くジャグリングを教えていて強く感じます。そもそもぼくもそれが原点です。まれに「必要に迫られて」が動機であることもありますが。
ぼく自身にしても、最近、なんで自分はジャグリングをやっているのだろう、と思うこともあります。そこで過去を思い返すと、初めて印象に残っているジャグリング(確かテレビでみた)が、まるで魔法のようだったのですね。だから、今改めて、「魔法のようなジャグリング」を実現したいな、と思うし、そこに今も一番惹かれるのです。
しかし、魔法を実現するには、途方もないトレーニングが必要なのです。自分が取り組んで思います。それを実現しているひとたち、すごい。
でもね。魔法が使えなくても、ジャグリングすることは楽しい。
少しでもできるようになると、うれしい。
そんな気持ちも大切にしたい。
では、できるようになるには、上手くなるには。
今までの流れを考えると、元も子もない言い方になりますが、反復しかありません。もちろん、どのようなことを反復するのかが大切です。さらに言うと、「間違った方法での反復」も個性として現れてきて、魅力を帯びることがあるのがジャグリングの面白さでもあるのですが。さておき。
ジャグリングを覚えるのに、ないがしろにされやすいのも反復です。
なんとなくできて、それで終わって、わかった気になってしまう。
器用なひとほど、この傾向があって、「もったいないなぁ」と不器用なぼくはしばしば思います。
ウサギとカメの話のように、ジャグリングが上手くなるひとの多くは、不器用ながらも続けたひとがほとんどです。才能に恵まれつつ、継続して練習して怪物のようになるひともいますが。
才能のあるなしに関わらず、上手くなるには継続することが大切なのです。特にジャグリングという行為自体が「反復」が基盤にあるので、繰り返し繰り返し練習することで、動作の精確さを保つ必要があります。
そこで大切になるのが、ジャグリングを習慣とすること。
先日、ぼくが講師をしているジャグリング教室に端を発して、こんな記事を書きました。
この記事で書いたことは、習慣化のために
道具を身近に置いて、練習へのハードルを下げる。
場所を決める。
時間を決める。(朝活ジャグリングのススメ)
ことでした。
これにジャグラーからいくつか興味深い反応があったので、改めて「習慣にする」とはどういうことかまとめてみたいと思います。
日頃の生活パタンに合わせて道具を置いておく
道具を毎度持ち歩くのは、ちょっと大変ですよね。
仕事をされている方でしたら、職場のロッカーなどに道具を入れておく。
実際、ぼくが受け持つ生徒さんからも、そのようにして練習時間を確保している、という話をしばしば聞きます。
仕事の休憩時間に練習することで、気分転換にもなり、良い効果があるそうです。
さらに一歩進めると、ツイートにあるように、目に付くところに道具を置いてどこでもジャグリングができる環境をつくっておく、ということになるのかな。
始めるハードルを下げるのは、とても大切です。
ジャグリングをすることで、集中力も高まりますので、ぜひ日常に取り入れて欲しいアイディアですね。
…とは言え、そこでジャグリングに熱中し過ぎてしまうと日常に支障をきたすので注意が必要ですが(笑)
習慣は設計するもの
本当にこれで…習慣化とは、現状を目的に従って視線で見直し、目的が達成されるように最適化できるようにデザインして、実行することです。
余分なハードルを排除して、続けるためのシステムをつくることが習慣にするためのコツですね。
所属欲求を満たす
一緒に同じことに取り組む仲間は、何かを続ける時にとてもありがたいのですよね。
ぼく自身、ジャグリングクラブという場が最初にあったから、ジャグリングやパフォーマンス活動を続けられたと思います。そして、ジャグリング教室に来る生徒さんたちも、みんなでジャグリングをするのがモチベーションになっている話を度々聞きます。
ジャグリングそのもの、というよりも、ひとと関わることがジャグリングへのモチベーションになる。一緒に練習できる仲間やコミュニティが見つかると、自然とジャグリングができますね。
働きはじめてもジャグリングを続ける方法
…そういうことです(笑)
ジャグリングが上手くなるとうれしいんですけれども、限られた時間の中で最大限に時間をジャグリングに費やすのは、とても難しい。そして、ジャグリングが上手くなるには、どうしても時間が必要です。
ジャグリングに学生時代を費やしていたひとは、その辺がもどかしく、疎遠になって行くのかな、とも思います。
なぜ疎遠になるかと言うと(疎遠になること自体が悪いわけではないです。人生は有限でその時々で、優先順位がある)、一つには「目標を設定する」と言うことがあるのでは、とも思います。
ジャグリングを始めるひとに、今までたくさん立ち会ってきました。
その中には、2通りのひとがいて、ジャグリングを続けるひとと、ジャグリングを辞めて行くひとがいます。
ぼくが見てきた限り、続けるひとの理由は様々なのですが、辞めて行くひとの理由は3つです。
明確な目標があり、達成した。
上達が感じられないことで、限界を感じた。
興味を持ったものの環境が変わって練習できなくなった。
「辞める」ことが悪いことではありません。繰り返しになりますが、人生は有限でその時々で、優先順位があります。
ジャグリングを続けることが、ジャグリングに人生を捧げる覚悟であるひとの特権であるわけはありません。そんなひとは、「プロ」としてジャグリングに取り組んで行くのでしょうが、そんな生き方だけではないですよね。
ジャグリングへの付き合い方が、多様…その人なりの付き合い方が肯定されて、ジャグリングが人生に寄り添って行くような形をして広まって行くと良いな、と思います。
最後に
「上手い-下手」「できる-できない」という価値観からの脱却とともに、生活・人生の潤いのひとつとしてジャグリングがあるといいな。
「習慣」「継続」というのはそういうことかも。
書き綴っていて、最終的にそんなことを思いました。
生活とともにあるジャグリングのヒントに、この記事がなれば幸いです。
追記
この記事を書いて、推敲のために置いておいたら、タイミングよくこんな記事が流れてきました。
週刊PONTEに連載中の記事
◆投げないふたり season2◆第4回「情熱にふれる」
です。
ちょうどこの投稿に書いてきたことと、リンクするような感覚を(勝手に)覚えたので、よかったら読んでみてください。
より洗練された言葉で、「ジャグリングが共にいる」ことが書かれているように感じました。
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