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お寺が「地域」にあることの意味

自己紹介

こんにちは!ゆうさいと申します

新潟県の背骨っぽいところに位置する弥彦村の真宗佛光寺派法圓寺ほうえんじ(法円寺)で副住職をしています

下記はお寺のWEBSITEです

どうぞ、よしなに

【TERA WORK SCHOOL】とは?

前回と同様、ゆうさいの個人的アウトプットとしてお考えくだしあ

その【TERA WORK SCHOOL】2回目体験会のなか、取り上げられていた「カリー寺」に関わられた僧侶のかたを講師として、急遽2.5回体験会が開催された次第でした

講師

中平了悟 /浄土真宗本願寺派 光西寺 住職/「カリー寺」企画運営/京都・大阪等の大学非常勤講師(仏教/浄土真宗の思想、宗教と社会課題の関係がテーマ)/ 

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『お寺運営に“目的”は必要なのか。―お寺での取り組みの始め方―』

と題した勉強会が行われました

中平師は、自然体で、がんばってます感がないのがよいのかなー、なんて思った(ほめ言葉です。自分の場合、がんばってる感を隠せないため)

そのバイタリティーはどこからやってくるの??

っていうのが、中平師に対する最大の関心事でした

お寺にお参りされた経験乏しい、地域おじいから発せられた「お寺直す時は いつでも言ってや~」っていう言葉から、地域に関するジェネレーションギャップと、それに伴う寺院活動への危機感について言及がありました

(この会話から、世代間ギャップの危機感にアクセスできるセンスがすごいな~)

仏事、集落における神事、町内会、ボランティア活動

さまざまなそうなっていたことが、必ずしも通用しないフェイズに到着するのではあるまいか?

そのことに対する危機感が、中平師のモチベーションにつなげさせられているのではないか?

そう、個人的に感じたところでありました

させられている、って言うたけど

させられているうち、

お寺という場から願われ催され、やらせていただいている。主客転倒みたいな感覚

を覚えたそうです

僧侶の側は「お寺が地域コミュニティの中心にあってほしい」と希望的観測があるとこなんだけど、中平師は、そこから一歩進んで、地域と共に歩まれている感がありました←学ぶべき視座です

1つの、活動における実績?として、無縁の親子がお寺の石畳にチョークラクガキするため(チョークのため雨が降れば流れて消える)訪れたことがあったそうな

中平師は

休日、無縁の親子に【お寺】っていう選択肢をみちびいた瞬間が「なんかよかった」

とおっしゃっていました。その画が目に浮かんで、すんごい多幸感アリな風景でした

じぶんのお寺にも、ふらっと無縁の親子がお参りされたら「なんかよいよね~?」ってなるはずだもんな・・・

おしまいに

2つのちえん(地縁/血縁)が急速にうすれていくなか、お寺という場がその地域地域の実情に合わせ、どう「ひらかれる」べきなのだろう?

答えは1つってことはない

うちに【カリー寺@尼崎市】のスキームそのまんまってのは無理だ

けど、、弥彦村×法圓寺(法円寺)のオリジナルな何かはできる…かもしれない

アイディアはある…んだけど、そのための前提としては、このコロナ禍が落ち着かなければなー、ってのがある。恨めしや

今回まなばせてもらったスピリットを活かし「やってこ!」言うよりほかない

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