山奥にある新興宗教の20日間合宿に軟禁された話[1]

さて本題

実母が痛いので私は19歳の時に山奥にある新興宗教の20日間合宿に軟禁される羽目になった事がある。

<経緯>

実母が傾倒していた宗教は,物には意味がないという教えだったのもあり何かを買わされる事はなかったが,勧誘活動はあったし経典の様な物もあった。母はズボラな性格なので活動自体は一切せず,困った時だけ私を丸投げして教育ヨロシコシステムを採用していたので(それはそれで『あいつ(実母)何の活動もしてねーのにな』と思っている信者の元へ向かって投げ届けられる私としては気まずさ満点w),いわゆる日々起こる2世の苦難の様なものはなかった。
思い返せば,春休みや夏休みの長期休暇は小学3年生位までの毎年,安い託児先のつもりだったのか,謎合宿に連行されていたがあれもこの団体だったと大人になってから気付いた。

合宿に軟禁に至るそもそもの経緯を話すと,その頃の私は自力で貯めたお金を元に実家から出る事とバイトで生計を立てながら学生をして一人暮らしをする事を希望していたが賃貸の保証人だけが自力で用意できなかった。一人暮らしを反対する両親が保証人になる事との交換条件として激痛実母のお気に入り宗教団体の合宿に行くという契約だったのだ。実母の算段では,合宿によって私の心が洗われて改心し同居継続を願い出ると思っていたのだろうが,私としては小学生の頃の夏合宿経験から19回寝れば帰れる位にしか思っていなかった。そんな事で私は宗教団体の合宿に行く事になったのだった。

振り返ればなかなかシュールな体験だったが,あそこは確かに社会と地続きの一部である事から思えば,社会勉強になったと思う。


<施設内部と過ごし方>

合宿所は山奥にあった。
電車を乗り継ぐ度に山深さが増してゆき,駅からはタクシーで20-30分掛けてうねった山道を揺られてやっと着いた。子供の頃のサマーキャンプ感のある合宿施設とは全く違った,閉鎖された場所という印象で,門から建物までの暗く長い坂道がより一層一般社会とは隔絶された空間である事を認識させた。

建物は立派な瓦屋根の日本建築でさながら温泉旅館といった佇まい。千と千尋の風呂宿がイメージに近い。1-2階には事務所や応接室,食堂や大浴場や礼拝堂の他に100人位が集えそうな大広間が何部屋かあるのと,確か3-4階には15畳くらいの和室がズラリと20以上は並び男女別に8人位の就寝部屋となっていて,大勢の人で埋まっていた。

施設の全ての部屋にはスピーカーが設置されていて,大広間や礼拝堂で行われている行事の音声が爆音で流れるシステムになっている。就寝部屋にいても風呂にいても食堂にいてもトイレにいても,どこにいても聞こえてきてスイッチのオフが出来ない。

朝は爆音のお経?で目が覚めて,一斉に布団を片づけ起床準備をして大広間に集合して朝の礼拝をする。それ以降は毎日のカリキュラムはいくつか種類があって,スポーツジムのフロアプログラムみたいに場所と時間によってやっているプログラムが違い,各自が自由に選択して参加するシステムだったと思う。そして食堂解放時間とお風呂解放時間が決められ,各自それに合わせて計画を立てる感じ。

私はと言えば,19回寝る事だけを目標に来ていたので,毎日の行事には朝の礼拝から参加拒否をして誰もいない就寝部屋で過ごしていた。でも同室の人はやはり放っておいてはくれず,行こうよ行こうよと頻繁に誘われ呼びに来る。しっかりNOを言うタイプの私はしっかりとしたNOを言っていたが,班長制度があった様に思うから,もしかすると私の欠席によって班長には何某かの注意があったのかも知れない。最終的には事務所に呼ばれ,信者の長みたいな30代男性と面談となり1時間くらい参加を促された。そしてしっかりNOを言った。その毎日の勧誘も,確か3-4日目には諦めてくれて強制される事はなくなり1人で静かに過ごせる日が増えた。



<信者とお焚き上げの修行>

信者達の大半が所謂”普通の人”だが,本当に色々な人がいた。
主婦,末期癌の女性,性依存症の女性,身寄りのない年配女性,精神疾患らしき女性,親に捨てられた未成年,少年院から帰って来たヤンキー,生活に困っている人,明るく優しそうな人,知的障害の人,会社員,OL,様々だった。

施設内はどこに居ても爆音で宗教関連の説法や修行の声が聞こえる。

一番キツかったのは屋外の大庭園でやってるらしい目玉となる行事で,直接確認はしていないが音声から察するに,櫓を組んで松明をつけ,父母と神仏への言葉を手紙に書いて,それを読み上げながら焚き火に投げ入れて燃やすと言う修行。
なかなか良い年をした大人が男女問わずマイクに向かって大声で号泣しながら何度も何度も10回以上も繰り返し叫ぶ

「おとーーさあああん、おかー~ーさあああん、
 ありがとうございますぅぅぅぅ!!
 神様あああ!!ありがとうございますぅぅ!!
 ありがとうございますぅぅぅ!!
 ありがとうございますぅぅ!!
 ありがとうございますぅぅぅ!!
 うわあああぁん!!」

順々に参加者全員,1人づつ叫ぶ。だいたい手紙の冒頭では憎悪に塗れた文面で辛い人生が語られる。罵詈雑言が続いても最後はお約束通りに感謝を繰り返し泣き叫ぶ。これが丸一日流れていた日があって,正直怖かったしうるさかったし気持ち悪かった。

「いや感謝自体はええけど他人に叫ばず実家に帰って本人に言え」とマイクを奪って言うたろかなと思っていた私。

でも反面,大勢の大の大人の苦しさと憎悪が煮込まれた手紙の文面と声からは,この人達が存在し続ける為にはこれは不可避なんだろうと感じた。安定を求めて溺れもがく様子は緊迫していて,喜怒哀楽が乱高下する不安定さと,枯渇する様な愛されたい欲とが入り混じった叫びは切実で,弱々しく消え入りそうな細い芯を必死で繋ぎ止める様な,命懸けの盲信の様で,大勢の大人が泣き崩れる様に私は人間の脆さを目の当たりにした気分だった。
宗教は社会という太平洋で溺れているこの人達にとっては生死さえ分ける切実な浮き輪なんだろうなと思った。



→山奥にある新興宗教の20日間合宿に軟禁される話[2]に続く

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