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これは余談ですが

あれは土曜日朝の一講目に割り振られていた。
課目名は哲学だったか倫理学だったか。

この先生は単位取得にはとても寛容で、あまり出席してしなくても大丈夫と言う記憶がある。

俺も土曜の朝から行く必要もなかったのだが、その日はバイトがない気楽さや、大学近くのホームセンターでペットの餌を買うのが俺の分担でもあったので、その授業を聴いてから餌を買って帰る事が多かった。

その2年前

高校は卒業したものの大学進学へのモチベーションは見出せず、親父がひとりで請け負っていた小さな電気工事会社のバイトとして2年ぐらい働いていた時期があった。しかし失敗ばかりで左官屋さんや他の設備屋さんに何度も怒鳴られたり、体力的にも厳しい日々が続いて、正直途方に暮れていた。

親父はそんな俺を見て、半分ぐらいしかお金出せないけどどっか入れる大学に行かないか、と言う話を出してきた。

6月も過ぎていたし2年間勉強してないからさすがに難しいとは思ったが、すでに大学に入学していた友人たちから受験参考書をもらい、親父からもらったわずかな賃金で夏期講習に行ったり、「コーヒーとケーキ奢ってくれたら家庭教師やってやる」と言ってくれる奴がいて、何とか地元の大学に入学することになった。

ところが大学に入ってからも何かをしようという気持ちがまったく出てこない。
学校と親父の手伝い。そのふたつをただただ繰り返す毎日。
 
そんな日々の中で束の間に出会った講義だった。

内容をちゃんと理解するのは難しかったが、落ち着いた口調で、時々ハズし気味の冗談を加える時間はなぜか心地良かった。

「みなさんはもうすぐ3年生になると思うんですけど、まあ私のゼミに入るような奇特な人はいないと思うので、多分最後のお話になると思うんですよね」

もうすぐ講義時間も終わる頃、先生がこう切り出した。
半分寝ていた学生も何だ何だと顔を上げていた。

「これは余談ですが、私は精神医学は専門ではないので勝手な意見が入ってしまいますが、ちょっとだけ。もしみなさんの中で怒りや悲しみ、苦しい悩みがあるときはですね」

「放っておいてください。波が鎮まるのを待つのです。必ず鎮まる時間が来ます」

「それは短い時間かも知れません。あ、いま悩みや怒りを忘れてたなあ、みたいな時間です」

「その時間を幸せと言います。常に波が鎮まるのをじっと待ってみてください。今日の講義は終わります。私の講義を選択してくれてありがとう」

“必ず鎮まる時間が来ます”

この言葉を言い聞かせながら、俺は続かないと思っていたサラリーマン生活をなんとかおくっている。

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