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せっせっせーのよいよいよい、アルプス一万尺、小槍の上で。

デート。代々木八幡駅でその日私たちは落ち合った。夕暮れが似合うとても落ち着いた街で、私はとてもここが好き。
おしゃれな店が点在しているその街は、パチンコ屋さえもスーパーの外装のような清潔さを携えています。
表参道や新宿とは違い、街中を歩いている人は代々木八幡の住民か、せいぜい近隣の街からの訪問者らしく、気の張っていない人で溢れています。賑わいのある八百屋に、小さなチョコレートやさん、オーガニックスーパー、そして無数の小洒落たレストランたち。
バッグを持たない軽装の男女カップルがふらっと夕暮れと共に現れては、小さなお店に吸い込まれていく。おそらく住民なのでしょう。彼女たちはおしゃれなのにどこか着心地が良さそうな服を着ているのです。この街はとても不思議なところ。魅力的なところ。

頼んだワイン(に見せかけたぶどうジュース)。

次の日の夜、私たちはやることがなくなったので手遊びをしました。
アルプス一万尺をし始めてから、私はこの遊びを今までの人生で一度もやったことのなかったことを思い出しました。遊び方を知らないのです。義母によって学童に押し込まれていた私には、同年代の友達と遊ぶ経験がほとんどありませんでした。また、「母親」という存在から何かを教わることもありませんでした。(彼女が唯一教えてくれたことと言えば恐怖そのものでした。)
せっせっせーのよいよいよい、とアルプス一万尺をやっている同級生たちを、わたしは教室の自席からじっと見つめました。しかし、見てるだけでは手をどう動かすのか覚えることができず、私には遊び方が最後まで分かりませんでした。当時の私の髪は結ばなくても過ごせる長さに切りそろえられて、よく寝癖がついていました。髪を結ってくれる大人が周囲にいなかったからです。つやつやの髪をお下げにして、アルプス一万尺をやっている女の子たちは、私にとってとても「正しい女の子」でした。
私は、「正しい女の子」の時期を経ることなく、なし崩し的に大人になってしまいました。

私がこのようなことを好きな人に説明して、手を自分の身に引っ込めた時、彼はすぐに「自分がやり方を教える」と言いました。彼は少しだけ、泣きそうでした。
せっせっせーの、よいよいよい、アルプス一万尺、小槍の上で、アルペン踊りをさぁ踊りましょう。この辺で私は振りが分からなくなります。何度かやれば覚えるよ、と彼が言って、私たちは何度もアルプス一万尺をしました。なんだ、これってただ4小節の繰り返しなんだと気づいた頃、私はできるようになっていました。「よかったね、めいさん。これでできるようになったね」。

24歳、アルプス一万尺ができるようになりました。みんなにできることが自分にはできないんだと思っていたことが一つ消えました。
これで、やり方が分からない子どもがいても、教えてあげることができます。
自分に子どもができても、これで母親らしく教えてやることができます。
あの頃の私のような、母親がいない子どもにも、覚えられるまでその子の手を握って教えてあげられるようになったのです。

「よかったね、めいさん。これでできるようになったね」。

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