見出し画像

せめて笑って別れ話を

ネットでインタビュー記事が出たあと、私の元にはいくつかテレビの取材の連絡がきて、彼女もその連絡を送ってきたひとりだった。「○○株式会社の○○と申します、○○という番組にぜひ…」と皆が送る中で、彼女は社名も名乗らず、とりあえず一度電話で話がしたいという旨のメッセージを寄越した。不審だった。警戒したが、なんだかわからないけど、少しだけ気になった。どうしようかな、と思いながらこちらからメッセージを打つと、少し遅れて返信が返ってくる。何度も消したり、書いたりしてダイレクトメッセージの「…」の表示がついたり消えたりするのを私は眺めた。言葉に迷いながら返信を書いている様子がなんとなく浮かんで、私はこの素性のわからない彼女ととりあえず電話をする約束を取り付けた。

その日は足早に帰宅し、約束通り21時ぴったりに電話をかけた。夏がちょうど始まった頃だった。「もしもし、荒井です。」と堅い口調で言うと、くぐもった声で自己紹介を返される。肩透かしを食らったみたいだった。テレビの人だっていうから、もっとハキハキしているもんだと勝手に思っていた。少なくとも、私が会ったことのあるメディア関係の人は、みんな過剰なくらい朗らかだったから。
その後も噛み合わないテンポで会話が進む。彼女、ーMさんはゆっくりとした調子で、あるドキュメンタリー番組に私の養子縁組の話を企画として持っていきたいと言って、少しずつ言葉を選びながら、私のnoteを読んだこと、そこに書いてある言葉に感動しフリーズしてしまって仕事が手につかなくなってしまったこと、ドキュメンタリーが撮りたくてその仕事をずっとしていること、この番組をずっとずっとやりたいと思ってきたことなどをぽつぽつと話した。私が不審だと思っていたダイレクトメッセージについて突っ込むと、「ツイッターの使い方が分からなくて、年下のADの子に教えてもらいながらやったので…」と言いいながら小さく謝り、それを聞いて私は「なぁんだ!」と声を上げて笑った。
いくつか取材をするにあたっての質問をされて、しかし話は滑り込むようにもっと個人的な話題に流れていった。古馴染みの友達に話すように、私はベッドの上で会ったことのない電話先の相手との会話に夢中になった。まるで実家の固定電話のコードを自室まで引っ張って、学校の友達と電話しているようだった。平成生まれの私はそんなこと、実際にやったことないけど。
Mさんが「全然関係ない話なんですけど、わたし、中学生の時に…」と言い始めたときに、これは掴んだと思った。取材する人ー取材される人の関係をその時、超えた気がした。私はころころと笑いながら彼女の話を聞き、彼女も私のマシンガントークに少し遅れたテンポで相槌を打つ。会話に夢中になって1時間半が経った。時刻は22時半だった。「これが番組になったとしてもならなくてもお会いしたいです。予算がたくさんあるわけではないので、あの…私のポケットマネーでご飯をご一緒するとかになっちゃいますけど」と彼女が言うのにかぶせて、「いや!それは心苦しいですし、公園でアイス食べたりしましょ!」と言うと、彼女が「あぁ〜!そういうの私大好きです…」と言った。少しだけ泣き出しそうな声に思えた。ご飯に誘われた時に、「お気になさらないで。コンビニで買ったアイスを公園で一緒に食べましょう」と返すというのは、完全に口説き文句だった。私が男の子を落とす時に使う常套手段だった。

一週間後、また別のテレビ制作会社の人から連絡が届いた。なんとも、Mさんが出そうとしていたのと同じ番組に企画書を出したいのだと言う。私は彼女に、実は他の制作会社さんからお声がけいただいていて、と伝えると、とっても悔しそうにして、それがどこの会社なのかを私に聞いた。いや〜、会社名なんだったかなぁ、と言葉を濁していると、「そのディレクターさんには私から話がきたこと、言わないでくださいね。」と念を押されてしまった。私は、六本木の星乃珈琲店で彼女のハキハキとした「テレビ業界らしい」話し方を眺めながら、Mさんのことをぼんやり考えていた。


番組が通った。Mさんの企画書で。季節は夏の真っ只中になっていた。
その知らせを受け取った時、私はMさんはどんなに嬉しいだろう、と思った。よかったね、Mさん。嬉しいね、Mさん…。
六本木で打ち合わせしましょうと言われて、私はその日浮かれ足で六本木ヒルズのエスカレーターを下った。そこに、とっても小柄で緊張した面持ちのMさんがいた。そして、横にはMさんの上司もいた。彼女の上司は私に名刺を渡し、「ほら、お前は?」とMさんに聞くと、「あ、すいません今なくて…」と彼女が答え、上司が呆れた顔になる。私は彼女が父親に怒られているようで、笑ってしまう。その日は終始そんな調子で、企画の趣旨を上司の人が一生懸命、仕事「らしく」説明をして、Mさんはリュックを膝の上で抱えながらたまに小さく頷いたりしていた。ー「良かったですね、Mさん」、私はその日、それが言いたいだけだった。しかし、彼女の「父親」がいる手前、古い友達と喜んでハグをするかのようなはしゃぎ方が出来なくて、これからの取材の詳細を聞きながら私は「よろしくお願いします。」と言って、立ち去ることしかできなかった。私は帰り道、六本木の成城石井でチョコレートを買いながら、「Mさんとやりましたねー!ってハグできなかった」と思って少しだけ泣いた。


(前編終わり。後日後編をアップします。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?