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好きな人と養子縁組して家族になりました(そして日常は続いてゆく)

十何人目かに出来た彼氏との同棲を決めたとき、私はこの人と結婚するんだと思った。そして、十何回目かのありきたりな別れをして同棲を解消する時に、あぁもうこんな夢を見るのはやめようと思った。家具が運び出され、空っぽになってゆく部屋に耐えられなかった。大好きだった白くて大きな部屋。大好きだった優しくて楽しい彼氏。

もう、好きな人と暮らすなんて恐ろしく素敵で馬鹿な真似はもうしない。管理会社に鍵を返して、駅のホームで大泣きしながらそう思った。

こうして私は自分だって「普通」に幸せになれるんだ、という幻想を捨てた。もう誰かの女になんてならない。


制度に保障された幸せが欲しくてたまらない

私が彼に送ったラブレターのお返事をいただいた時、「以前から友達や、浅い家族的な観点から愛していました。」という部分を読んで嬉しかったのだが、さらに「養子縁組で友達を子どもにするという話題をしていましたがあれはめいちゃんを念頭に置いた話でした。」と続いていた。びっくりした。

養子縁組。それは家族になるということ。

「家族」や「結婚」といった制度に保障された幸せが喉から手が出るほど欲しくてたまらない、私の欲望がビリビリと体の中を駆け巡った。
欲望だけに脳をジャックされて、まるで体に毒が回ったみたいだ。

「それって私を本当に愛しているって証なの?」
「私とずっと一緒にいてくれる約束をしてくれるってことなの?」
嬉しい、嬉しい。この人は私のことを見捨てないのかもしれない。ずっと愛してくれるのかもしれない。

封印したはずの、凡庸な幸せへの憧れが逆流してくる。私は濁流に飲み込まれた。

複雑な家庭環境で育った私には、4人の両親がいてきょうだいも3人いたが、私にとっては誰も家族ではなかった。私の意思関係なく義父の戸籍に入れられ、その名字を名乗るたびに苦痛を感じていた。血の繋がってたって、同じ家に住んでいたって、名字が一緒だって、家族なんかじゃなかった。

だから嬉しかった、そして、怖かった。二つ返事で養子縁組しましょう、とは言えなかった。舞い上がっている自分が恐ろしかった。

愛をジップロックに入れて冷凍保存

彼の家から青山通りを渋谷方面に歩き、国連大学の脇にある青山ブックセンターを目指す。今は閉館してしまったこどもの城が道の途中にあって、私はその前にある岡本太郎の大きなモニュメントを指差しては「先生、あの顔やって!」と変顔をせがんだりする。(私は彼のことを先生というあだ名で呼んでいる。)マスクしてるから変顔しても伝わらないよと彼が笑う。

彼が買ってきた現代アートの特集雑誌を、ベンチで一緒に読む。外で読むには強すぎる風に雑誌のページがあおられて笑ってしまう。そのうち彼はそのままベンチでうたた寝をし始めて、よく寝れるなぁと感心しながら彼の髪を撫でて、私はまた雑誌に目を落とす。

帰り道、表参道ヒルズ沿いの街路樹の切り株に立ち止まり、「このオレンジ色のは、樹液ですかね?」と言いながら、突拍子もなく触ってみる。ねっとりした感触に、うえ〜っ!と声を上げながら、「先生もほら触ってみて!」と促すと、彼も触った途端にうえ〜っ!と言いながら体を仰け反らせて、私たちは大笑いする。

本屋に行くだけでこんなに楽しいのだから、この生活が何も変わらないままずっと続いたらいいと思う時がある。ジップロックに密封して、冷凍保存してしまえればいいのに。そうしたら腐らずに日持ちするのかしら、私たち。

でも、私の細胞は否応無く日々入れ替わっていて、一週間後の彼は私の知っているのとは少し違う人になっている。来年私たちがどうなるかなんてまるで分からない。

分からない。私には愛の分類が一体何なのか分からない。誰かに聞かれても、彼のことを性愛として好きだとか、家族としての愛情なのかとかは答えられない。

ただ、愛が自分の中を巡っているのだということだけを感じる。日々少しずつ変わってゆく私の中で、私の血管には鮮血と一緒にみずみずしい愛が流れている。冷凍保存じゃなくって、循環させてゆくのだ、愛は。

舞い上がっていた自分を冷静にいなす。養子縁組なんかしても、私たちは何も変化させられないよ、と。

区役所で管理されている紙になんて書かれようと私たちは何も規定されない。血の繋がりや戸籍上での家族が私自身にとっては家族でなかったように、彼と養子縁組しても今までの生活がただ続いてゆくだけだ。相手に真摯に向き合って、お互いの合意を作ってゆく地道な作業でしかない。今までと同じように。

「だからね、最初は嬉しくって舞い上がってたんだけど、そこに冷静な私が降りてきて言ったの。残念でした!な〜んにも変わらないよ〜!って。たしかにそうだなって思って。」と一通り逡巡したあと、そう自分の結論を彼に伝えたら、そうだね、と笑ってくれた。

実際、世帯を一緒にすることを前提とし、相手としかセックスをしてはいけないという貞操義務が発生し、向こう何十年も添い遂げることが求められて、おまけにその他諸々の社会的制約にも芋づる式に繋がってしまう「結婚」に比べると、養子縁組は法的・社会的な制約がかなり少ない。結婚や事実婚、同性パートナーシップ制度と共に、養子縁組という選択も広く多くの人に開かれたものであると思う。

だから、私は好きな人と養子縁組をして家族になりました。でも何も変わりません。今までと変わらない日常が続いていきます。私たちは相変わらず、ふざけながら本屋へ行って笑い合うでしょう。

でも、少しだけ。分けてもらった新しい名字を私はとても気に入っていて、生まれて初めて私は納得した名前で生きてゆくことになります。名前を聞かれるたびに、喉が詰まるような苦しさを感じていたけれど、新しい名字を名乗る時には、少し誇らしい気持ちになります。

そして、彼が家族として迎えてくれたことをとても嬉しく思います。両手を広げて私を受け入れてくれる時、彼の中に私の居場所があると思えるのです。そして、私の中にも彼を感じます。潮風が港町へ流れ込むように、満ちては引いてゆく波打ち際のように、たしかに愛を感じるのです。


ツイッター @farb_
養子縁組についてはまだまだ色々書くことがあるので、noteにあげてくと思います。
彼との関係についても過去の他のエントリがあるので読んでみてくださ〜い

追記
新R25に取材(!)を受けた記事公開されました。
ぜひ併せてお読みください

https://r25.jp/article/840861820202491658

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